會話 山之口貘
會 話
お國は? と女が言つた
さて、僕の國はどこなんだか、 とにかく僕は煙草に火をつけるんだが、 刺靑と蛇皮線などの聯想を染めて、 圖案のやうな風俗をしてゐるあの僕の國か!
ずつとむかふ
ずつとむかふとは? と女が言つた
それはずつとむかふ、 日本列島の南端の一寸手前なんだが、 頭上に豚をのせる女がゐるとか素足で步くとかいふやうな、 憂欝な方角を習慣してゐるあの僕の國か!
南方
南方とは? と女が言つた
南方は南方、 濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帶、 龍舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が、 白い季節を被つて寄り添ふてゐるんだが、 あれは日本人ではないとか日本語は通じるかなどゝ談し合ひながら、 世間との既成槪念達が寄留するあの僕の國か!
亞熱帶
アネツタイ! と女は言つた
亞熱帶なんだが、 僕の女よ、 目の前に見える亞熱帶が見えないのか! この僕のやうに、 日本語の通じる日本人たちが、 卽ち亞熱帶に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが、 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのゝ同義語でも眺めるかのやうに、 世間の偏見達が眺めるあの僕の國か!
赤道直下のあの近所
[やぶちゃん注:「龍舌蘭」常緑多年生草木である、単子葉植物綱クサスギカズラ目クサスギカズラ科リュウゼツラン亜科リュウゼツラン属アオノリュウゼツラン Agave americana 。但し、メキシコ原産で、沖縄のそれは、明治期に移入されたものであろう。
「梯梧」双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科デイゴ属デイゴ Erythrina variegate。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『インド、マレー半島などの熱帯アジア、オーストラリアが原産。日本では沖縄県(あるいは奄美大島)が生育の北限とされている』。『鹿児島県奄美群島でも加計呂麻島の諸鈍海岸で約』八十『本の並木道となっているなど、あちこちでデイゴの大木が見られるが、交易船の航海の目印とするため等で沖縄から植栽されたものといわれる』とある。
「阿旦」単子葉植物綱タコノキ目タコノキ科タコノキ属アダン Pandanus odorifer 。
「パパイヤ」双子葉植物綱アブラナ目パパイア科パパイア属パパイア Carica papaya 。熱帯アメリカ産で、十八世紀に沖縄に移入された。
【2014年6月17日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を全面改稿した。】初出は昭和一〇(一九三五)年十一月号『文藝』で、戦後の昭和二二(一九四七)年十二月発行の『青年沖縄』、昭和三二(一九五七)年十月十三日附『琉球新報』他に再掲されている。
原書房刊「定本 山之口貘詩集」では読点が総て除去され、字空きとなっており、三・五・六行目の「ずつとむかふ」の表記が、
ずつとむかう
という表記に改められてある。但し、これは訂正とは言い難い。距離を隔てたあちらの方の意の名詞「むかふ」(「向かふ」)の表記はこれで歴史的仮名遣として正しいからである(言わずもがな乍ら、現代仮名遣では「むかふ」は「むこう」である)。但し、それではバクさんの改変は誤っているかというと、実は、誤りとも言えない。何故なら、名詞「むかふ」は動詞「向(むか)ふ」の終止形・連体形が名詞化したものとして歴史的仮名遣を「むかふ」とするのが、一般的なのだが、一方では、その連用形である「むかひ(むかい)」のウ音便形と考えて「むかう」と表記するのが寧ろ正しいとする学説もあるからである。
また、第二連の二行目の「憂欝」が「憂鬱」に改められてあり、さらに、第三連の二行が、
南方は南方 濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帶 龍舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が 白い季節を被つて寄り添ふてゐるんだが あれは日本人ではないとか 日本語は通じるかなどと談し合ひながら 世間との既成槪念達が寄留するあの僕の國か!
と「あれは日本人ではないとか」と「日本語は通じるかなどと談し合ひながら」の間に字空きが施されてある。【二〇二四年十月二十日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正し、植物注を追加した。 ]