栂尾明恵上人伝記 72
日來(ひごろ)は坐禪の時、是程近くては見奉らず。此の病中に看病の次に近づきて見奉るに、禪定に入り給ふ時は、數尅出入の息絶え給ひて、身體聊かも轉動することなし。はや入滅し給ふかと肝つぶして手を口に當て見奉るに息氣なし。驚き存すと云へども兼ての約束に我が息絶えて入滅したりと見るとも、身の冷えはてざらんに我に手ばし懸くなと仰せ置かれしかばと思ひて、待ち居たる程に、數尅の後、少しづゝ動き給ひて、自ら臥し給ふ時もあり。かゝる事毎日毎夜の事なれば、後々には例の事と知りて驚かず。或る時又例の如く定に入り給へり。傍にて見奉れば、彌勒の大座の左の角の寶珠の上より香煙忽に立ち昇る。漸く帳(とばり)の内に滿ちて終に御座の間に靉(たな)びき雲の如くして空に涌(わ)き上る。其の時に當つて上人の御口の中より白光出でゝ彌勒の寶前を照らし給ふ。山中に獨りのみ坐し給ひし日來の體もかくこそありつらめと、今こそ思ひ知られけれ。或る時は諸衆を集めて、不斷に文殊の五字の眞言を誦せしめて、其れを聞きながら、我は定に入り給ひけり。又或る時は初夜の坐禪の中に忽に眼を開きて告げて云はく、只今左の脇に不動尊現じ給へり、慈救(じく)の咒(しゆ)を誦せよとて、諸衆に誦せさせらるゝ時もあり。又彌勒の寶號を唱へさせらるゝ時もあり。衆僧普く座に望む、其の時に、上人遺誡(ゆゐかい)を垂れて云はく、我れ年來諸佛菩薩に加被(かび)を乞ひて、聖教において如來の本意を得んことを求む。宿善實に憑(たの)みあり。既に是を得たり。他事なく勤め修行せん事を思ふと雖も、思ふ程こそ其の本意を益せざれども、如來の本意、解脱の入門是れを開けり。諸衆各又此の志を全くして堅く如來の禁戒を持ちて、精進して勤行すべし。末代には眞正の知識もなし。若し自宗おいて明らめ難き理あらば、禪宗において正してんと、聞き得ん禪僧に相談せば益あるべし。或は法により、或は人に依りて、偏執我慢あるべからず。今は必ず諸佛の御前にして見參を遂ぐべきなり。顯性房(けんしやうばう)志深く山中に行ひ勤めてさて御座し候へば、隨喜し參らせ候なり。我が申す所の法示し給ふべしと云々。我は釋尊入滅の儀に任せて、右脇臥(うけふぐわ)の儀にて臨終すべしとて、右脇臥にて御坐す。其の時此の程向ひ居給ひつる彌勒の像をば學文所(がくもんじよ)へ入れ奉りて其(そこ)に安置し奉る。
[やぶちゃん注:「手ばし懸くな」「ばし」は副助詞(取り立ての係助詞「は」に強意の副助詞「し」の付いた「はし」が濁音化して一語になったもの)で、上の事柄を取り立てて強調する意を表す。軽々に亡くなったなどと断じて手出しなんぞしてはならない。
「文殊の五字の眞言」平泉洸全訳注「明惠上人伝記」には『阿羅跛捨那(アラバシヤナ)』と割注する。アラハシャノウ。
「慈救の咒」慈救呪。不動明王の呪文の一つで、唱えると災厄から免れ、願い事が叶うという。慈救の偈。
「加被」御加護。
「自宗」ここは明恵一門のそれであるから華厳宗。
「顯性房」「一言芳談 五十九」に出る「松蔭の顯性房」か(リンク先は私の注釈テクスト)。]
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