鼻のある結論 山之口貘
鼻のある結論
ある日
悶々としてゐる鼻の姿を見た
鼻はその兩翼をおしひろげてはおしたゝんだりして 往復してゐる呼吸を苦しんでゐた
呼吸は熱をおび
はなかべを傷めて往復した
鼻はつひにいきり立ち
身振り口振りもはげしくなつて くんくんと風邪を打ち鳴らした
僕は詩を休み
なんどもなんども洟をかみ
鼻の樣子をうかゞひ暮らしてゐるうちに 夜が明けた
あゝ
呼吸するための鼻であるとは言へ
風邪ひくたんびにぐるりの文明を搔き亂し
そこに神の氣配を蹴立てゝ
鼻は血みどろに
顏のまんなかにがんばつてゐた
またある日
僕は文明をかなしんだ
詩人がどんなに詩人でも 未だに食はねば生きられないほどの
それは非文化的な文明だつた
だから僕なんかでも 詩人であるばかりではなくて汲取屋をも兼ねてゐた
僕は來る日も糞を浴び
去(ゆ)く日も糞を浴びてゐた
詩は糞の日々をながめ 立ちのぼる陽炎のやうに汗ばんだ
あゝ
かゝる不潔な生活にも 僕と稱する人間がばたついて生きてゐるやうに
ソヴィエット・ロシヤにも
ナチス・ドイツにも
また戰車や神風號やアンドレ・ジイドに至るまで
文明のどこにも人間はばたついてゐて
くさいと言ふには既に遲かつた
鼻はもつともらしい物腰をして
生理の傳統をかむり
再び顏のまんなかに立ち上つてゐた。
[やぶちゃん注:【2014年6月1日:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により注を全面改稿した】初出は昭和一二(一九三七)年九月特大号『改造』。後に萩原朔太郎編「昭和詩鈔」に詩集刊行後は昭和一五(一九四〇)年三月十八日刊の萩原朔太郎編「昭和詩鈔」(冨山房)に同じく本詩集の「襤褸は寢てゐる」「來意」と合わせて三篇が収録されている(他にも再録があるが略す。これは再録データは少なくとも私の電子テクストにはあまり必要を感じないことと、データ参照をしている思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の解題を担当されている松下博文氏の編集権を侵害しないためである。再録の詳細データを知りたい場合は同書を購入されたい。以降は私が必要と思った再録(例えば戦前戦中の詩の戦後の再録ややや特殊と思われるタイプの再録、それからバクさんの故郷、沖繩関連の雑誌・新聞のそれ)についてのみ記すこととする。向後はこの注を略す)。
原書房刊「定本 山之口貘詩集」では三行目が、
鼻はその兩翼をおしひろげてはおしたゝんだりして 往復してゐる呼吸(いき)を苦しんでゐた
に、五行目が、
はなかべを痛めて往復した
に改稿されていると旧全集校異にある。
ところが、その「定本 山之口貘詩集」を底本とする「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」を見ると、この五行目は、「思辨の苑」と同じく、
はなかべを傷めて往復した
で「傷」となっているのは不審である。旧全集か新全集か孰れかが誤認しているものと思われる。わざわざ校異で記した旧全集の誤認というのは考え難いのだが、原本を所持しないため、暫くかく注しておく。
また、「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」では、
風邪ひくたんびにぐるりの文明を搔き乱し
と「掻き」ではなく「搔き」となっている(同じく新字採用の旧全集もこれと同じ)。実は現在、普通に使用されているところの「掻」は、画数が二画も異なるが、これは新字体ではなく、簡易慣用字体(国語審議会が「字体選択のよりどころ」として一定の方針を示した「表外漢字字体表」(二〇〇〇年十二月最終答申)が挙げる表外漢字の代表的な一〇二二字について概ね所謂、康熙字典体に準じた「印刷標準字体」の内、特に二十二字について俗字体・略字体等を許容字体と認めたもの)の一つであるから、新全集が採用方針としている正規の新字体には含まれないので問題ない。
さらにまた、「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」では、
ソヴィエツト・ロシヤにも
と「ソヴィエット」の「ッ」という拗音表記が「ソヴィエツト」となっている。これもやや不審で、前の「ィ」を拗音表記しながら、後を「ツ」と拗音化しないというのは解せない気がするのである。これも原本を持たないので確認出来ないが、私はこれが「定本 山之口貘詩集」のママであるのなら(とすると、私は、寧ろ、当該詩集自体の単なる植字ミスさえ疑われるのであるが)、解題で、ママ注記をするか、若しくは新字体採用という「英断」(この括弧は無論、皮肉である)をしたのなら、自然な「ソヴィエット」にして、補正注を解題に附すのがよりよいと思うのであるが、如何であろうか?【二〇二四年十月十四日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。その結果、初版では、ちゃんと、「ソヴィエット」となっていたので(ここ)、「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の校正ミスであることが判明した。]
「はなかべ」「鼻壁」と言ったら、一般的には、というか、耳鼻咽喉科では、鼻の内部で、上下に支えている薄い骨と間にある軟骨から出来ている鼻の左右を分けている「鼻中隔」を指すが、ここは鼻孔内部の広義の内壁の皮膚全体を指していると思われる。臭気と排泄物の細菌に日常的に襲われて、鼻がムズムズするのを、鼻を下を擦ったり、鼻を指で揉んだりすることで、そこが、炎症を起こして、状態が悪くなることを指していよう。
「詩人であるばかりではなくて汲取屋をも兼ねてゐた」バクさんのこの詩は、後の奥方になる静江さんとお見合いをする前月の発行である(お見合いは十月で事実婚は十二月。但し、婚姻届は二年後の昭和一四(一九三九)年十月)。旧全集年譜の同年の条には、『貘は東京鍼灸医学研究所退職後』(昭和四(一九二九)年八月に同研究所通信事務員として就職するとともに昭和六年には同医学校に入学、昭和十年に卒業、翌十一年二月に退職、その後は半年ほど鉄屑を運ぶ隅田川のダルマ船の仕事に従事した)、『水洗便所のマンホールのそうじ人夫、東京材木日日新聞などを経て、温灸器販売、ニキビ、ソバカスの薬の通信販売の仕事に従事していたが』、まさに、この結婚した昭和十二年十二月にその通販業者が『倒産し失業する』とある。バクさんには、その汲取業に従事していた体験をもとにした手書きの「淨化槽斷面圖」の附された小説「詩人便所を洗ふ」(「洗う」は推定。昭和一三(一九三八)年『中央公論』。これは、いつか個人的に電子化したいと考えている)、また戦後になっても小説「汲取屋になった詩人」(昭和三三(一九五八)年六月号『サンデー毎日』。但し、こちらには汲取業のことは最後にちょっとしか出ないので期待してはいけない)を書いているから、バクさんにとっては非常に懐かしい、文字通り、記憶に強烈に染み込んだものであったことが窺われる。因みに私は、この二篇を「小説」と分類した旧全集の編集方針に、私は、ある種の違和感を持っている。生来の詩人であるバクさんの書くものは総て「詩」「散文詩」であり、旧全集のような「小説」(第二巻)、「随筆」(第三巻)というような線引きは到底出来ないと思われるからである(さても、新全集は後続巻では正しく「散文」とするらしい。快哉!)。――いや――それにしても――世界中の詩人の中で、全集に、手書きの便所の断面図が載るという詩人は――恐らくバクさんだけだろうなあ!――【二〇二四年十月十四日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。]
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