萩原朔太郎 弁慶 短歌八首 大正二(一九一三)年十月
辨慶
夢みるひと
我(わが)がなつかしき
魚屋(さかなや)のベンケイに
橋側(はしそば)の安酒場(やすさけば)こそまたなけれべんけい(ヽヽヽヽ)も來(き)て醉(ゑ)ひて唄(うた)へる
醉(ゑ)ひどれのかの辨慶(べんけい)も秋(あき)くれば路傍(ろばう)に立(た)ちて物(もの)を思(おも)へり
あはれなる色氣狂(いろきちがひ)の魚屋(さかなや)が我(われ)に教(おし)へしさのさ節(ぶし)かな
魚屋(さかなや)の赤(あか)き小鼻(こばな)を晩秋(おそあき)の酒場(さけば)の軒(のき)に見(み)るが哀(かな)しさ
居酒屋(ゐざかや)の暗(くら)き床(ゆか)をばみつめつゝ何思(なにおも)ふらむかゝる男(をとこ)は
ほの暗(くら)き床(ゆか)にこぼれし酒(さけ)を見てふとべんけいが叫(さけ)び出(いだ)せり
淫(みだ)らなるかの辨慶(べんけい)の諧謔(かいぎやく)も秋(あき)の酒場(さけば)にきけば悲(かな)しも
いかばかり悲(かな)しく彼(かれ)が眺(なが)むらむ酒場(さけば)の窓(まど)の赤(あか)き落日(らくじつ)
(一九一三、一〇、酒場にて)
[やぶちゃん注:大正二(一九一三)年十月二十六日附『上毛新聞』に標記通り、「夢みるひと」名義で掲載された八首連作。朔太郎満二十六歳。「辨慶」は前橋(?)の商店街の魚屋の屋号かその主人の綽名と思われるが、詳細は不詳。一首目などは明らかに名にし負はばの弁慶に、謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」の後半部を重ねた確信犯である。
「酒場」のルビ「さけば」は全首に一貫した表現なので改めなかった(底本校訂本文では総て「さかば」と『訂』されてある)。
三首目「教へし」のルビ「おし」はママ。
六首目下句の頭「ふとべんけいが」は初出は「ふとべんけがい」。誤植として訂した。]