大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海燕
海燕 本草原始ニノセタリ圖アリ本草綱目ニモノセタリ
圖ナシ海虫ナリ磯石ノ處ニ生ス其形狀異物ナリ五
角アリテ徑二寸五分許猶大ナルアリ色藍ノコトク
靑キアリ黄褐色ナルアリ表ニ丹色ノ彩點多シ形狀モ
彩色モ人工ノ作爲セルカ如シウラハ丹色五角ノスチニ
渠アリ其正中ニ口アリ小足アリ海ニアル時微ク蠕動
ス内ニ小膓アリ陸ニアリテハ動カス其形狀如此
死シテ皮肉去リ周ノ
五角ヲツ五角ハ肉ナ
レハ死シテ後ハ自クサリ[やぶちゃん注:この三行の上部に以下の挿絵がある。]
テ脱ス其形圓ニナリテ角ナシ色淡白ナリウラヲモテ同
色ナリ死シテ後面ニ五葉櫻ノ花ノ如シ恰人巧ニテ畫キ彫
刻スルカ如シ奇物ナリウラノ穴ハ口ナリ餌ヲハムワキニ小穴
一アリ尻ナリ生ナルト死シタルハ別物ノ如シ
〇やぶちゃんの書き下し文
海燕 「本草原始」にのせたり。圖あり。「本草綱目」にものせたり。圖なし。海虫なり。磯石の處に生ず。其の形狀、異物なり。五角ありて徑二寸五分許り、猶ほ大なるあり。色、藍のごとく靑きあり、黄褐色なるあり。表に丹色の彩點多し。形狀も彩色も人工の作爲せるがごとし。うらは丹色。五角のすぢに渠〔みぞ〕あり。其の正中に口あり。小足あり。海にある時、微〔すこ〕しく蠕動す。内に小膓あり。陸にありては動かず。其の形狀、此くのごとし。死して皮肉去り周(めぐり)の五角をつ。五角は肉ナなれば死して後は自〔おのづ〕からくさりて脱す。其の形、圓になりて角なし。色、淡白なり。うら・をもて同色なり。死して後、面に五葉櫻の花のごとし。恰も人巧〔じんこう〕にて畫き彫刻するがごとし。奇物なり。うらの穴は口なり。餌をはむ。わきに小穴一あり、尻なり。生なると死したるは別物のごとし。
[やぶちゃん注:これは細かな叙述から棘皮動物門ヒトデ綱アカヒトデ目イトマキヒトデ科イトマキヒトデ Patiria pectinifera に同定出来る。原本には図がある。底本サイトには画像の使用許可条件が示されていないので、国立国会図書館蔵の同板行版の画像を示す。これは国立国会図書館の正式な使用許諾を受けているものである(許諾書番号は国図電1401064-1-594号)。因みに、ヒトデという和名は私にはセンスのない和名としか思えない。形状連想に基づく「海燕」(カイエン)の方が遙かによいと感じる(グーグル画像検索「イトマキヒトデ」)。
「本草原始」十二巻。明末の医家李中立が一六一二年に撰した「本草綱目」の要点を整理した本草書。生薬の図にオリジナリティがあるという。
「わきに小穴一あり、尻なり」この観察は不審で誤りである。イトマキヒトデの肛門は背側中央部にある小孔で非常に小さく、虫眼鏡を使用しないと判別出来ない程度に小さい。同じ直近には給水機構の一部である穿孔板があり、これは肉眼でも視認出来るものの、肛門でもなければ口吻部の側にあるものでもない。益軒は何を見誤ったか。もしかすると、捕食時に胃を露出させるのを排泄物と誤認した可能性があるかとも思われる。]