篠原鳳作句集 昭和五(一九三〇)年十二月
畫家探元の墓に參る
道をしへ塚の上より翔ちにけり
[やぶちゃん注:「畫家探元」とは江戸中期の画家木村探元(きむらたんげん 延宝七(一六七九)年~明和四(一七六七)年)のこと。名は時員(ときかず)、通称は村右衛門、別号に大弐(だいに)・三暁庵。薩摩出身で江戸にて狩野探信(守政)に師事、雪舟にも傾倒して室町風の水墨画を得意とし、鹿児島藩御用絵師を勤めた。享保一九(一七三四)年には法橋(ほっきょう)となっている。作品に「富士山図」、著作に「三暁庵談話」がある(ここまでは講談社「日本人名大辞典」に拠る)。墓は鹿児島市小野町の幸加木(こうかき)神社境内にある。クマタツ1847氏の「わたしのブログ」の「小野町歴史散歩(その二)木村探元の墓 (4)」で、詳しい位置と一風変わった彼の墓石を見られる。]
滝川を渉りて灯す祠哉
[やぶちゃん注:確定ではないが、前の木村探元の墓所の直近(幸加木神社境内)には滝と祠があることが個人サイト「滝巡りのページ」の「幸加木神社の滝(鹿児島県鹿児島市)」の写真によって分かる。ここでの詠か。]
いろいろの案山子の道のたのしさよ
下宿生活
合住みの友をたよりや風邪籠り
[やぶちゃん注:以上四句は昭和五(一九三〇)年十二月の発表句。]