無機物 山之口貘
無 機 物
僕は考へる
ふたりが接吻したそのことを
娘さんを僕に吳れませんかといふ風に
緣談を申し込みたいと僕は言ふのだが
浮浪人のくせに、 と女が言ふたんだといふやうに
ところが僕は考へる
浮浪人をやめたいとおもつてゐるそのことを
緣談はまとめて置いて直ぐにもその足で
人並位の生活をなんとか都合したいと僕は言ふのだが
それではものわらひになる、 と女が言ふたんだといふやうに
ところが僕はまた考へるのか
とにかく緣談をはなしだけでもまとめて置きたいとおもふそのことを
だからこんなに僕が話しても僕のこゝろがわからぬのかと言ふのだが
さよなら、 と女が言ふたんだといふやうに
戀愛してゐるその間
僕は知らずにゐたんだよ
現實ごとには仰天してゐるこの僕を。
[やぶちゃん注:【2014年6月17日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」との対比検証によって注を附した】初出は昭和九(一九三四)年十一月号『日本詩』(発行所は東京市神田区三崎町の「アキラ書房」)で、次の「音樂」及びずっと後に載る「立ち往生」と併せて三篇が掲載された。「定本 山之口貘詩集」では読点は除去されて字空き、最後の句点も除去されてある。バクさん、三十一歳、放浪時代の詩である(この女性は従って妻となる静江さんではない)。【二〇二四年十月十九日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。]
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