萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「若きウエルテルの煩ひ」(6)
その香ゆへにその花ゆへに人は老を
泣きぬ泣かれぬ濃きべにつばき
[やぶちゃん注:二箇所の「ゆへ」はママ。朔太郎満十七歳の時の、『文庫』第二十四巻第六号・明治三六(一九〇三)年十二月に「上毛 萩原美棹」の名義で掲載された十四首の第二首目、
その香ゆゑにその花ゆゑに、人は老を、泣きぬ泣かれぬ、こき紅(べに)椿。
の表記違いの相同歌。]
瑠璃鳥(るりとり)の鳴けば朝雲さむうして
人とすなほに別れける哉
[やぶちゃん注:原本は「瑠璃鳥」を「瑠理鳥」とするが誤字と断じて訂した。底本校訂本文も「瑠璃鳥」とする。こちらは、朔太郎満十七歳の時の、『明星』卯年第十二号・明治三六(一九〇三)年十二月の「金鷄」欄に「萩原美棹(上野)」の名義で掲載された四首の第二首目、
ひよ鳥の啼くや朝雲寒うして人とすなほに別れけるかな
の類型歌。]
抱きては交互(かたみ)に泣きし日もありき
世にそむきしも何日の二人ぞ
野に見るは泣くによろしき秋の雨
こし路戀路の思ひ出ぐさよ
相(あひ)似たる人か木精(こだま)かひそみきて
呼べは應ふる日なるに似たり
[やぶちゃん注:「呼べは」はママ。前と同じ『明星』卯年第十二号・明治三六(一九〇三)年十二月の「金鷄」欄に「萩原美棹(上野)」の名義で掲載された四首の内の巻頭の、
相似たる人か木精(こだま)かひそみきて呼べは應(こた)ふる日なるが如し
の類型歌。]
たゞきくは人の泣く聲むせぶ聲
陰魔地を這ふこがらしの風
手をあげて招けば肥えし野の牛も
來りぬ寄りぬ何を語らむ
[やぶちゃん注:朔太郎満十七歳の時の、『明星』辰年第六号(明治三七(一九〇四)年六月発行)の「鳴潮」欄に「萩原美棹」の名義で掲載された六首の第五首目、
手をあげて招けば肥えし野の牛も來りぬよりぬ何を語らむ
の表記違いの相同歌。]
おとなしう涙ぬぐひてあればとて
十九の春はくれであらめや
[やぶちゃん注:朔太郎満十七歳の時の、『坂東太郎』第三十九号(明治三七(一九〇四)年七月発行)に掲載された「夏衣」八首の四首目、
音なしう涙おさへてあればとて春の光はくれであらめや。
の類型歌であるが、本歌の方がいい。]