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2014/02/15

加藤淸正   山之口貘

 

   加 藤 淸 正

 

血沫をあげ

あはたゞしくも虎年が來た

 

虎だ と云へば

上野の動物園や虎の皮や 虎そのものを思ひ出すといふことよりも

思ひ出すのは加藤淸正まづその人なのである

かれはそのむかし

虎狩ですつかりをとこをあげ

以來

歷史の一隅を借り受けて

そこにおのれの名をかゝげ

虎のゐるところどこにでも出掛けては 史上の生活を營むでゐた

かれはまるで動物園の虎の係りであるかのやうに

いつも人待ち顏で檻の傍らに立ち

虎に生彩を投げあたへたりして 少年達に愛されてゐた 

 

ところでこれは今年のことである。

その日 動物園には僕もゐた

僕は少年達の頭の間から そこいらにごろごろ轉つてゐる肉體の文明に見とれてゐた

やがて少年達がそこをひきあげると

例の加藤淸正彼がである

かれは僕の肩をたゝき その掌をおのれの腦天に置き おもむろに唇をうごかした

弱つた。 とかれが言つた

ことしは虎で困つたことになつた。と言つた

これは意外にも かれのマンネリズムから飛び出してゐるほどの 更に一段と歷史的にほひの高い言葉であつた

それにしても

だがそれにしても僕はおもふ

史上の彼方からはるばると おのれを慕ひ虎を慕ひ 動物園にまでやつてくるこの古ぼけた人物の上にすら つひに時勢の姿は反映するものか

虎に出て來られて

加藤淸正が困つては

それは虎狩りの少年達が困まる。 と僕は言つた するとかれはあたりを見𢌞はして

かなしげな聲を立て

むかしを呼ぶやうに かれは見知らぬ虎どもの名を呼んだ

すたありん

むつそりいに

ひつとらあ 

 

そのとき

檻のなかでは

めをほそめ耳の穴だけ開けてゐた。

 

[やぶちゃん注:初出は昭和一三(一九三八)年一月号『むらさき』(発行所は東京市神田区神保町「むらさき出版部」)。後の昭和一六(一九四一)年二月山雅房発行の『歴程詩集 紀元二千六百年版』にも、他に「友引の日」「彈痕」「日曜日」「思辨」の四篇とともに再録されている(「友引の日」「彈痕」の二篇は「定本 山之口貘詩集」所収で、他は「思辨の苑」所収の詩篇)。

 ここで断っておくと、バクさんの詩では詩の一行が長くなって二行目に亙る場合は二行目以降が一字下げ表示となるが、ブログではそれは、特異な表示法を持っている詩篇を除いて再現していない(この注記は以降では省略する)

 原書房刊「定本 山之口貘詩集」を底本とする思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証すると、使用されている句点がすべて抹消されて、「弱つた とかれが言つた」「ことしは虎で困つたことになつた と言つた」「それは虎狩りの少年達が困まる と僕は言つた するとかれはあたりを見廻して」となり、掉尾は「めをほそめ耳の穴だけ開けてゐた」で終わっている。

 十二行目は、

 

虎のゐるところどこにでも出掛けては 史上の生活を營んでゐた

 

に、三十一行目が、

 

それは虎狩りの少年達が困まる と僕は言つた するとかれはあたりを見廻して

 

と送り仮名が改められている。

 除去されてしまった句点については、個人的には詩中の三箇所に限って、私は、あった方が、直接話法の雰囲気をよく伝えるよりよい手法であると感じていることを付記しておく。私は、このとぼけた感じの、しかし強烈にアイロニカルでブラッキーでスパイシーな一篇が、殊の外、好きである。【2014年5月31日:本文のミス・タイプを訂正、思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により注を全面改稿した】【二〇二四年十月十四日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。

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