飯田蛇笏 靈芝 大正三年(十五句)
大正三年(十五句)
幽冥へおつる音あり灯取蟲
海鳴れど艪は壁にある夜永かな
竈火赫つとたゞ秋風の妻を見る
[やぶちゃん注:上五「竈火赫つと」は「くどびかつと(くどびかっと)」と読む。大野林火「近代俳句の鑑賞と批評」(明治書院昭和四二(一九六七)年刊)によれば、蛇笏の初期作品には一種の小説風な着想があり、この句にもそれを指摘する。まず、この句には以下の自注があるとされ(底本引用は新字体であるが、恣意的に正字化した)、
山郷の晩景。〝農となつて郷國闊し柿の秋〟と詠じ、その實、眞の農たり得ない夫の心理は、つれそふ妻っさへ秋風の中に一片の落葉か何ぞのやうに眺めやつた。生活の中に躬自らをおとした表現。
を引用、この後の大正四年の選句に出る、
埋火に妻や花月の情にぶし
を引いて、『この「花月」は風流心のことであり、ただ家事に忠実、夫に貞淑な妻と、文学志向に燃える夫との心のへだたり』が述べられていると指摘、次に大正三年の本作の頃は蛇笏結婚四年目で、この年の蛇笏の年譜には、虚子が俳壇に復帰したことを知った蛇笏が絶えて手に取ることもなかった『ホトトギス』を取り寄せてみれば、同誌が俳句に重点をおくものになっており、『未知の新人が活躍してゐた。燃えかけてゐた作句熱が熾烈になつたことを感じた』とあるのを引用、最後に本句を評して、『颯々と吹き渡った一種の秋風が竈火に照らしだされいる貞淑な妻を吹くとともに、作者の心をひえびえと吹きすぎたのである。その対照がきわやかである』と記す。]
芋の露連山影を正うす
[やぶちゃん注:蛇笏真骨頂の代表句。私はかつて中学生の頃、この句に出逢った折り、接写レンズで撮った里芋の葉の上に置かれた丸い大きな銀色の露(私はこれを小さな頃から偏愛してきた)の表面に甲斐の山並みが反転して映るのを、否、芋の露の中にある別世界の奇峰の連なりを幻視したのを今も忘れない。大野林火「近代俳句の鑑賞と批評」によれば、この句には以下の自注があるとする(例によって恣意的に正字化して示す)。
今日に至るまでの歳月の中で、最も健康がすぐれなかった時である。隣村のY病院へ毎日薬瓶を提げて通つてゐた。南アルプス連峰が、爽涼たる大氣のなかに、きびしく禮容をととのへてゐた。身邊の植物(植物にかぎらず)は決して芋のみではなかつた。
大野氏は以下、『家郷にとじこめられ、肉体は病のため衰弱しても、精神はつねに昂揚して彼岸を見つめていたのであろう。礼容をととのえているのは甲斐の山々のみでなく、作者もまたこれらの山の偉容に襟を正して向っている』と評しておられる。蓋し名評である。]
刈田遠くかゞやく雲の袋かな
案山子たつれば群雀空にしづまらず
牛曳いて四山の秋や古酒の醉
かりがねに乳はる酒肆の婢ありけり
句また燒くわが性淋し蘭の秋
農となつて郷國ひろし柿の秋
山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな
人すでに落ちて瀧なる紅葉かな
萍生の骨を故郷の土に埋む、一句
葬人の齒あらはに哭くや曼珠沙華
[やぶちゃん注:飯田蛇笏の処女句集「山廬集」(昭和七(一九三二)年)に、
(蘆の湖に溺死せる從兄萍生を函嶺の頂に荼毘にして)
秋風や眼前湧ける月の謎
及び、全く同じ前書で、
荼毘の月提灯かけし松に踞す
という句があるようである(小川春休氏の電子テキスト「山廬集」を正字化したが、「灯」は考えた末にそのままにした。以下、断りのない「山廬集」は総てこの春休氏のものを参照させて戴いた)。]
ある夜月に富士大形の寒さかな
書樓出てさむし山の襞を見る