篠原鳳作句集 昭和五(一九三〇)年四月
麥門冬の實のいできたる筧かな
[やぶちゃん注:二月の「紀元節吟行」と底本にある句、
麥門冬の實の流れ來し筧かな
の改稿。『泉』の四月の投稿句。]
歌人八田翁庵跡
知紀のいほりの庭の土筆かな
[やぶちゃん注:「歌人八田翁庵跡」八田知紀(はったとものり 寛政一一(一七九九)年~明治六(一八七三)年)は江戸末期の宮廷歌人。幼名彦太郎。通称喜左衛門。号桃岡。薩摩国鹿児島郡西田村生。父知直は薩摩藩士。文政八(一八二五)年に京都蔵役人として上京、翌年には香川景樹に会う。文政十三年に正式に入門し、やがて桂園の有力者と認められるに至った。京と薩摩を往復する多忙の中、幕末の動乱に身を投じつつ、和歌の詠作や著述に励み、維新後は新政府に出仕して歌道御用掛などを勤めた。御歌所の高崎正風らが活躍の場を築く上で先駆的な役割を果たした人物である。家集に「しのぶ草」、歌論書「しらべの直路」など(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。現在、鹿児島市常盤町に「八田知紀誕生地碑」が建つが、鳳作が訪れたのがここかどうかは不明。]
陽炎や砂に坐りて蛇籠あむ
動物園
檻の中流るる水の落花哉
[やぶちゃん注:現在、鹿児島県鹿児島市平川町にある鹿児島市平川動物公園かと思われる。同園は大正五(一九一六)年九月に鹿児島電気軌道株式会社が鴨池遊園地内に創設した「鴨池動物園」が前身でこの二年前の昭和三(一九二八)年七月に鹿児島市が鴨池遊園地を買収していた。昭和五年当時はまだ「鴨池動物園」と呼ばれていたものと思われる。
以上、ここまでの四句は昭和五年四月発表の句。]