杉田久女句集 81 季語嫌いの僕が敢えて評釈するとこうなるという例
寂しがる庵主とありぬ唐菖蒲
[やぶちゃん注:「唐菖蒲」は通常は「とうしやうぶ(とうしょうぶ)」で単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科グラジオラス属
Gladiolus に属するグラジオラス類。本邦には自生しない。オランダショウブ(阿蘭陀菖蒲)ともいう。属名はラテン語で古代ローマの「剣」の意“Gladius”(グラディウス)で葉が剣に似ることに由来するとされる。日本では明治時代に輸入されて園芸種として栽培されている。夏期七~八月にかけて開花する春植え球根として流通しているものが一般的で、晩夏の季語としている(以上はウィキの「グラジオラス」に拠る)。春咲き品種もあり、それを読んだら春であることを句や前書に記さねばならぬのを有季俳句の掟とするのなら、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。]
子犬らに園めちやくちやや箒草
[やぶちゃん注:「箒草」は個人的には「ははきぐさ」と読みたい。ナデシコ目ヒユ科バッシア属ホウキギ
Bassia scoparia。黄緑色の小花を穂状につける晩夏に合わせて季語としているが、秋の鮮やかに赤く色づく頃こそ歳時記としては相応しいように季語嫌いの私としては強く感じる。]
つれづれの小簾捲きあげぬ濃紫陽花
[やぶちゃん注:「濃紫陽花」無論、ミズキ目アジサイ科アジサイアジサイ節アジサイ亜節アジサイ
Hydrangea macrophylla で濃紫陽花(こいあじさい)なる種が存在するわけではない。俳句では比較的よく見かける語であり、仲夏の季語とするらしいが、この語、一見、情緒的には響きはよいが、すこぶる非博物学的でいい加減な俳語(季語)である。その証拠にこの紫陽花の色は読者によって紫陽花の別名の文字通り、「七変化」「八仙花」「四葩変化(よひらへんげ)」することになるからである(私は鑑賞者の自在勝手でそれはそれでよいと思う人間だが伝統俳句でそんな許容は噴飯物であろう)。「万葉集」に既に現れる「味狹藍・安治佐爲」(あぢさゐ。源順(したごう)の「和名類聚抄」では「阿豆佐爲」の字を当てている)という語の語源説の有力な一つは、「あづ」(集まる)に「さあい」(真の藍色)から生まれたとすることや「赤」「紫」ではなく一般的には青や空色が「紫陽花」(但し、ウィキの「アジサイ」によれば、『日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている』とある)の一般的な嘱目の色彩イメージであると考えれば、「赤」や「濃い紫」ひいては「白」を心象像に交えてはいけないことになるのであろうか? ところがそもそもが「濃」とつけるのはその発色が最も鮮烈であることを指すから、例えば久女の句としてこの句をイメージするのに「赤」をそこから排除することは私には到底あり得ない。ところが、諸記載を見るとやはり俳諧サイトでは「濃紫陽花」とは濃い青の種を指すとする見解が主流のように見受けられる。そんな最大公約数的な陳腐感覚の歳時記事大絶対主義こそ非芸術的であり非博物学的であり非科学的であると私は断ずるものである。]
箒目に莟をこぼす柚の樹かな
[やぶちゃん注:ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン属ユズ
Citrus junos。五月頃に花が咲き、六~七月頃に実成、秋に黄色く色づくが、その時期で晩秋の季語とするらしい。二月末の今も私の家の下の庭には芳しい柚子の実はたわわに実っているというのに。]
蓮咲くや旭まだ頰に暑からず
[やぶちゃん注:歳時記では「蓮」は晩夏だそうである。この句は晩夏の句ではない。寧ろ「旭まだ頰に暑からず」こそが、総て季の詞ならざるものなしと喝破した芭蕉の言った優れた真正の「季の詞」というべきである。季語とは一箇の句の内的世界に於いて自然に湧き出る自然の持った本来的なパトスであると私は思っているのである。]
水暗し葉をぬきん出て大蓮華
日を遮る廣葉吹きおつ日ごと日ごと
汲みあてゝ花苔剝げし釣瓶かな
[やぶちゃん注:「花苔」(はなごけ)は仲夏の季語だそうである。無論、俳諧で用いられる「花苔」はそんな「生物種」を指しているわけではない(但し、蘚苔類ではなく地衣類に生物種としてのハナゴケ科ハナゴケ属
Cladonia rangiferina は存在する。極地及び温帯の高山帯に分布し体は灰白色、密に繰り返し分枝して長さ五センチメートル以上の樹枝状となっている。別名トナカイゴケとも。因みにこれを有季定型として詠んだ場合は「ハナゴケ」と片仮名表記した上、前書きに「Cladonia rangiferina を詠める」と記して、しかも句中には別の季語を配して初めて有季定型俳句として許されるということになる)。この「花苔」とは蘚類・苔類・ツノゴケ類(以上三類を蘚苔類とする)・地衣類から立ち上がる生殖器官としての胞子体等の視認形態(苔類では雌器床・雄器床、蘚類・地衣類では胞子嚢)の総称で、梅雨の頃に形成された白色や薄紫色のそれを「花」に見立てて言った語である。]
瓜一つ殘暑の草を敷き伏せし
[やぶちゃん注:……ああ、いいな……この句!]