飯田蛇笏 靈芝 大正八年(三十九句)
大正八年(三十九句)
火に倦んで爐にみる月や淺き春
月褒めて雪解渡しや二三人
家鴨抱くや凍解の水はればれと
[やぶちゃん注:「はればれ」の後半は底本では踊り字「〲」。]
月いよいよ大空わたる燒野かな
[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
牧霞西うちはれて獵期畢ふ
草喰む猫眼うとく日照雨仰ぎけり
落汐や月になほ戀ふ船の猫
谷川にほとりす風呂や竹の秋
尿やるまもねむる兒や夜の秋
[やぶちゃん注:「尿」は「すばり」と訓じていよう。]
白骨温泉
三伏の月の小さゝや燒ヶ嶽
うち越してながむる川の梅雨かな
から梅雨や水面もとびて合歡の禽
[やぶちゃん注:「水面」は「みなも」と読みたいが、「山廬集」では、
から梅雨や水ノ面もとびて合歓の鳥
と表記されてあり、「みのも」と読ませている。]
白骨檜峠一軒茶屋
高山七月老鶯をきく晝寢幮
白骨温泉行、七句
川瀨ゆるく波をおくるや靑嵐
[やぶちゃん注:「山廬集」では、
信濃山中梓川
川瀨ゆるく浪をおくるや靑あらし
とある。]
深山雨に蕗ふかぶかと泉かな
[やぶちゃん注:「ふかぶか」の後半は底本では踊り字「〲」。この句は「山廬集」では、『大正八年六月二十六日家郷を發して日本アルプスの幽境白骨山中の温泉に向ふ。途中 三句』という前書を持つ三句目に配されてある。但し、「山廬集」は季題別(以下、この注記は略す)。]
夏蝶や齒朶搖りてまた雨來る
汗冷えつ笠紐浸る泉かな
[やぶちゃん注:この句は「山廬集」では、『大正八年六月二十六日家郷を發して日本アルプスの幽境白骨山中の温泉に向ふ。途中 三句』という前書を持つ二句目に配されてある。]
夏山や又大川にめぐりあふ
[やぶちゃん注:この句は「山廬集」では、『大正八年六月二十六日家郷を發して日本アルプスの幽境白骨山中の温泉に向ふ。途中 三句』という前書を持つ三句目に配されてある。]
雲ゆくや行ひすます空の蜘蛛
後架灯おくやもんどりうつて金龜子
[やぶちゃん注:「山廬集」では、
後架灯おくやもんどりうちて金龜子
とする。]
風向きにまひおつ芋の螢かな
ふためきて又蟲とるや合歡の禽
陰曆八月虹うち仰ぐ晩稻守
[やぶちゃん注:「晩稻守」は「おしねもり」と読み、稲が実ってきた頃に鳥獣に田を荒らされぬように番をすること、又、その人を指す。「おしね」は「おそいね」の略といい、遅れて実のる晩稲(おくて)のことを指す。]
はつ秋の雨はじく朴に施餓鬼棚
月高し池舟上る石だゝみ
名月や耳聾ひまさる荒瀨越え
[やぶちゃん注:「聾ひ」は「しひ」と読む。ハ行上二段活用の自動詞「廢ふ」で、器官が働きを失う意の古語。「廢(しひ)」と名詞化されて「目しひ」「耳しひ」などと造語された。]
新月や掃きわすれたる萩落葉
白林和尚葬儀
秋月や魂なき僧を高になひ
[やぶちゃん注:「白林和尚」蛇笏の菩提寺(山梨県笛吹市境川町曹洞宗松尾山智光寺)の僧か。]
舟べりをおちてさやかや露の蟲
鳥かげにむれたつ鳥や秋の山
嘴するや榛高枝の秋鴉
[やぶちゃん注:「榛」は音「ハン」、落葉低木のブナ目カバノキ科ハシバミ属
Corylus ハシバミ Corylus
heterophylla var. thunbergii を指すが、実は本邦ではしばしば全くの別種である落葉高木のブナ目カバノキ科ハンノキ Alnus japonica に誤って当てる。この光景は高枝の鴉であるから後者と思われる。]
極月や雪山星をいたゞきて
上曾根渡舟場所見、一句
冬風に下駄も結べる鵜籠かな
月いでゝ雪山遠きすがたかな
月の樹にありあふ柝や寒稽古
[やぶちゃん注:「柝」は通常は「き」で、拍子木のことだが、どうも音数律が悪い。「タク」と音読みしているか。]
山居即事
雞たかく榎の日に飛べる深雪かな