中島敦 南洋日記 一月二十日
一月二十日(火) 晴、オギワル
九時過舟の用意とゝのひたりとて、ウバルにリュックを擔がせ公學校前迄到る。其處より小舟に乘る。漕手は金太郎。リーフの水澄み、海岸の風光も佳し。一時間足らずにして南貿に着く、上陸。金太郎に荷をかつがせ陸橋を行く。途中、橋の壞れたるあり。又舟を呼んで渡る。製材所より先は自らリュックを負うて歩む。椰子林中の道なり。途にコプラ剝きの一團に合ふ。山間の赭土道。ヘゴ羊齒。タコ。道に出合ふ女ども。正午前、オギワル村に入る。レンゲが邸。この部落は一本の大道中央を眞直に貫く。その兩側に家あり。頗る整然たり。アバイに行きて、ルバク共の會談を見る。貯金獎勵についての寄合なり。オイカワサン座にあり。彼等の會談に遲々として一向に進捗せず、五分間に一人位ポツンと發言するものの如し。村長宅にて晝食。ひるね。一向に村長も誰も歸り來らず。村長の名はエラッテウェズ。餘り長者らしからぬ風貌なり。<○村長の薄綠のワイシャツ、>四時近く歸宅し、大きなるバナナを馳走す。夕方迄土方氏と濱の干潟に下り立ち soko’(z) なる白き小あさりを掘る。持歸りて味噌汁とす。夕食には之と、タカオと出づを喰ふ。土方氏の爲には腐り氣味(ブラオ)なる魚あり。蓄音機(何が彼女をさうさせたか。コロール青年哥。ラヂオ體操その他の盤あり)、動かぬ時計三つ。その中の一つは鳩時計。卓子。籐椅子セット。低い机。皇室の寫眞多數掲げらる。明治的色彩に富む戰爭畫南苑激戰の圖四枚。富士山の額一つ。選獎狀の額(倅なるべし)ムレンヤパンの公學校修業證書、賞狀、圖書。日本(女)の着物一枚。手提。ミシン。天井よりぶら下がれる豪奢なるランプ。シャンデリヤの如し。獨乙時代のものなるべし、東郷元帥の畫。四圍のヴェランダへ日除の板簾。その外(ソト)の大ザボン。夜は、する事もなく、暗ければ、早く寐る。
[やぶちゃん注:太字「あさり」は底本では傍点「ヽ」。「腐り氣味(ブラオ)」の箇所は「腐り氣味」全体に「ブラオ」のルビがつく。
「ヘゴ羊齒」シダ植物門シダ綱ヘゴ目ヘゴ科ヘゴ
Cyathea spinulosa。常緑性の大形木生シダ。湿度の高い林中を好み、茎は高さ四メートル、基部の径は五〇センチメートルに達し、稀に枝分れする。茎の上部には、長さ二メートルを超す葉が開出し、葉柄は葉身より短く、紫褐色で刺が密生し、暗褐色の辺縁に刺のある鱗片をつける。葉身は二回羽状に分裂、小羽片は羽状に深裂し、裏面に薄い包膜で覆われた胞子嚢群を多数つける。参照したウィキの「ヘゴ」によれば、『ヘゴ科の茎は樹木の幹と異なり肥大成長をしないが、茎から出る無数の不定根に厚く覆われ、基部が太くなる。この不定根の層は湿度と空気とを適度に保持するため、着生のランやシダ類の栽培に適し、ヘゴ板として市販される。東南アジアや中南米では、茎や根塊を彫刻して土産品とする。ゼンマイ状に伸びた新芽は山菜として利用されることもある。また、茎はデンプンを多量に含むため、かつてはニュージーランドをはじめ多くの地域で、原住民がこれを食用としていた』とある。
「ルバク」長老の謂いであろう。土方日記を管見すると、元来はパラオ語で「年寄」を意味するが、そこから「旦那」という敬称に用いられるとあり、また「ルバク制度」という表現も出、これはどうもパラオ社会の長老達による決定機構のことらしい。また当時、占有していた日本人(内地人)のことも敬意を込めて「ルバク」と呼んだとある。]