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« 飯田蛇笏 靈芝 大正三年(十五句) | トップページ | 秋   八木重吉 »

2014/02/23

飯田蛇笏 靈芝 大正四年(四十五句)

   大正四年(四十五句)

 

餅花に髮ゆひはえぬ山家妻

 

閨怨のまなじり幽し野火の月

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「幽し」は「かそけし」と読む。]

 

陽にむいて春晝くらし菊根分

 

虛空めぐる土一塊や竹の秋

 

[やぶちゃん注:本句、私には今一つ句意を摑めない。識者の御教授を乞う。]

 

花に打てばまた斧にかへる谺かな

 

夏風やこときれし兒に枕蚊帳

 

夏雲濃し厩の馬に若竹に

 

梅雨の灯のさゞめく酒肆の鏡かな

 

深山花つむ梅雨人のおもてかな

 

   南ア連峰窻に聳え、春日山の翠微眉におつ

夏山や急雨すゞしく書にそゝぐ

 

青巒の月小さゝよたかむしろ

 

大空に富士澄む罌粟の眞夏かな

 

日蔽たるゝ水に明るき花藻かな

 

山百合にねむれる馬や靄の中

 

飼猿を熱愛す枇杷のあるじかな

 

紫陽花に八月の山高からず

 

山風のふき煽つ合歓の鴉かな

 

大木を見つゝ閉す戸や秋の暮

 

滄溟に浮く人魚あり月の秋

 

秋風や水夫にかゞやく港の灯

 

[やぶちゃん注:「水夫」は「かこ」と読んでいよう。]

 

槍の穗に咎人もなし秋の風

 

露さだかに道ゆく我を愉しめり

 

秋の嶽國土安泰のすがたかな

 

かきたてゝ明き御燈や山の秋

 

俳諧につぐ鬪菊や西鶴忌

 

[やぶちゃん注:浮世草子の作者であると同時に談林を代表する俳諧師でもあった矢数俳諧の創始者二万翁井原西鶴の忌日は八月十日。因みに大正四(一九一五)年の陰暦のそれは九月十八日土曜日に相当する。]

 

薰(たきもの)に八朔梅や守武忌

 

[やぶちゃん注:「八朔梅」旧暦の八朔(八月一日)の頃に咲く梅で八重の淡紅色の花をつける珍しい梅。「守武忌」山崎宗鑑とともに俳諧の祖とされる戦国期の伊勢神宮祠官で連歌師であった荒木田守武の忌日は八月八日。因みに大正四(一九一五)年の陰暦のそれは九月十六日木曜日に相当する。前の句と前後している理由は分からない。一つの可能性は前者の西鶴忌が新暦で行われてしまい、後者の供養が正しく旧暦であったとすればおかしくはない。但し、後の「山廬集」では順序が入れ替わっている(但し、「山廬集」は季題別)から、単なる(ストイックな彼にして「単なる」とは言い難い重大なミスではある。しかも西鶴と守武では普通ならば詠日が多少前後しても守武を前に持って来るべきであろう。しかも守武の方が三日早いのである)蛇笏の配置ミスかも知れない。]

 

たましひのしづかにうつる菊見かな

 

月さむくあそべる人や萩の宿

 

料理屋の夜の闃寂や白芙蓉

 

[やぶちゃん注:「闃寂」は「げきせき」と読ませていよう(「げきじやく(げきじゃく)」とも読むが私の印象は「よのげきせき」である)。ひっそりと静まりかえって寂しいさま。]

 

書樓出て樵歌またきく竹の春

 

はしばみにふためきとぶや山鴉

 

[やぶちゃん注:]

 

山國の虛空日わたる冬至かな

 

髭剃つて顏晏如たり冬日影

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「晏如」は「あんじよ(あんじょ)」で、安らかで落ち着いているさま。]

 

冬空や大樹くれんとする静寂(しゞま)

 

[やぶちゃん注:底本ルビの踊り字は「ヾ」(片仮名用踊り字)であるが訂した。]

 

霜とけの囁きをきく獵夫かな

 

雪國の日はあはあはし湖舟ゆく

 

[やぶちゃん注:「あはあは」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

大艦をうつ鷗あり冬の海

 

爐をきつて出るや椿に雲もなし

 

雪晴れてわが冬帽の蒼さかな

 

爐によつて連山あかし橇の醉

 

死病得て爪うつくしき火桶かな

[やぶちゃん注:芥川龍之介は大正十三(一九二四)三月一日発行の雑誌『雲母』に「蛇笏君と僕と」(後に「飯田蛇笏」と改められる)を発表しているが、その中で、

 その内に僕も作句をはじめた。すると或歳時記の中に「死病得て爪美しき火桶かな」と云ふ蛇笏の句を發見した。この句は蛇笏に對する評價を一變する力を具へてゐた。僕は「ホトトギス」の雜詠に出る蛇笏の名前に注意し出した。勿論その句境にも剽竊した。「癆咳の頰うつくしや冬帽子」「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」――僕は蛇笏の影響のもとにさう云ふ句なども製造した。

と告白している。ちなみに、「惣嫁」とは上方で言う最下級の売春婦の夜鷹のこと。更に、この作品には後半、次の芥川の句が示されてある。

 春雨の中や雪おく甲斐の山

 おらが家の花も咲いたる番茶かな

前の「春雨の」の句の直後に「これは僕の近作である。次手を以て甲斐の國にゐる蛇笏君に獻上したい。」と書き、最近は時々句作するが、忽ち苦吟に陥ってしまうとし、「所詮下手は下手なりに句作そのものを樂しむより外に安住する所はないと見える。」と書いて、「おらが家の」を示す。句の後に、「先輩たる蛇笏君の憫笑を蒙れば幸甚である。」と文を結んでいる。【2013年4月2日追記】芥川龍之介「飯田蛇笏」の全文はこちらに私のマニアックな注を附したものがあるので是非お読み戴きたい。]



埋火に妻や花月の情にぶし

 

火を埋めて更けゆく夜のつばさかな

 

かりくらの月に腹うつ狸かな

 

[やぶちゃん注:「かりくら」狩倉・狩蔵。領主の独占的な狩猟区域で所領内の狩猟に好適な山や野を選んで四至を定めて囲い込んだ地域を指す。獣類の生態系を守るために百姓等の出入りや採草・伐木などを厳しく禁じた。狩倉の成立時期は不明であるが十二世紀の前期には「神狩蔵」の存在が知られ、この神の狩倉は十三世紀初めに肥後国阿蘇神社などで確認される狩猟神事を営むための狩倉と考えられており、和泉国大鳥神社では十一世紀末から十二世紀初頭にかけて四ヶ所の「狩庭」が確認出来る(以上は「世界大百科事典」に拠る)。]

 

落葉ふんで人道念を全うす

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