誕生日――その終わりに
老年に入つた人生に於て最も警戒しなくてはならぬのは、自分の誕生日を架空の限定されたおぞましき人生の節目に擬へ、たゞでさへ愚劣で救ひ難き現世に、而も下らぬ存在でしかない自身といふ存在の絶望を、遂に抱ひてしまふといふ誤謬に陥り易いといふ、誠に莫迦々々しい事實のみに對してである。
(「贋作 侏儒の言葉」より)
*
「贋作 侏儒の言葉」――誰の作だって?――俺だよ、俺!
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老年に入つた人生に於て最も警戒しなくてはならぬのは、自分の誕生日を架空の限定されたおぞましき人生の節目に擬へ、たゞでさへ愚劣で救ひ難き現世に、而も下らぬ存在でしかない自身といふ存在の絶望を、遂に抱ひてしまふといふ誤謬に陥り易いといふ、誠に莫迦々々しい事實のみに對してである。
(「贋作 侏儒の言葉」より)
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「贋作 侏儒の言葉」――誰の作だって?――俺だよ、俺!