古今新調 小引幷に十首 大正二(一九一三)年十二月
古今新調(こきんしんてう)
夢みるひと
小引(せういん)
古歌(こか)のこゝろのなつかしさよ、わけて新古今詠嘆(しんこきんえいたん)の調(しらべ)、匂高(にほひたか)きは夕闇(ゆうやみ)の園(その)に咲(さ)くアラセイトオのたぐひなるべし。官能(くわんのう)の疲(つか)れを苦蓬酒(アブサン)の盃(さかづき)に啜(すゝ)り象徴(せうてう)のあやかしを珈琲(カフイ)の煙(けむり)に夢(ゆめ)みる近代(きんだい)の騷客(さうかく)、ともすれば純情(じゆんぜう)の心雅(こゝろみや)びかなる古巣(ふるす)にのがれての古(ふる)き歌集(かしう)の手觸(てざは)りに廢唐(はいたう)のやるせなき風流(ふうりう)を學(まな)ばんとす。げにや新人(しんじん)のモツトオに觸(ふ)れデカダン樂派(がくは)の新星(しんせい)グリークがピアノの律(りつ)に啜泣(すゝりな)く定家卿選歌(ていかけうせんか)の心(こゝろ)ばかり世(よ)にあはれ深(ふか)きはあらぢかし。
[やぶちゃん注:この「小引」以下の十首連作は、大正二(一九一三)年十二月一日附『上毛新聞』に標記通り、「夢みるひと」名義で掲載された。朔太郎満二十七歳。
「小引」短い序文。小序。
ルビ「ゆうやみ」「せうてう」「じゆんぜう」「かしう」「ていかけう」はママ。
最初の一文の「アラセイトオのたぐひなるべし。」最後の句点は初出にはないが、脱字と断じて底本全集校訂本文と同じく句点を配した。
「アラセイトオ」はママ(校訂本文もママ)。アブラナ目アブラナ科アラセイトウ(マッテオラ)属 Matthiola の花。まるらめ氏の「日だまり仔猫-園芸専科-」の「ストック」(アラセイトウの英名:stock)に語源説が載る。ウィキの「アラセイトウ属」によれば、『南ヨーロッパ原産で原産地では多年草であるが、日本では秋蒔き一年草として扱う。開花期は早春~春。花壇に植える他、切り花にされることが多』く、『よい香りを持っている』。『日本では主に切花として栽培されているものと花壇に植えるものとに分かれている。切花の場合は、八重咲きの花が好まれる傾向にある。しかし、ガーデンスストックの八重花は雄ずいも雌ずいも花弁となってしまっているために生殖能力が無い。そのため、八重と一重の遺伝子を両方持つ株から採種し、選抜しなければならないので、幼苗時に鑑別を行う必要がある』とある。香りは無理だが、グーグル画像検索「Matthiola」でその華麗な多くの品種を鑑賞出来る。
末尾「あらぢかし」はママ。]
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淡雪(あはゆき)
うら侘(わ)びてはこべを摘(つ)むも淡雪(あはゆき)の消(け)なまく人(ひと)を思(おも)ふものゆへ
[やぶちゃん注:先に示した『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)に発表された、
うちわびてはこべを摘むも淡雪の消なまく人を思ふものゆゑ
の改作。]
アカシヤ
なにごとも花(はな)あかしやの木影(こかげ)にてきみ待(ま)つ春(はる)の夜(よ)にしくはなし
[やぶちゃん注:前首と同じく『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)に発表された、
なにごとも花あかしやの木影にて君まつ春の夜にしくはなし
の標記違いの同一首。]
水(みづ)のほとりのあづまや
悲(かな)しき別(わか)れの日(ひ)に
けふすぎて水際(みぎは)に咲(さ)けるべこにや(ヽヽヽヽ)もいかでか風(かぜ)にそよぎ泣(な)くらむ
[やぶちゃん注:底本全集校訂本文では「いかでや」を「いかでか」と補正する。採らない。底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第三首目に、
水のほとりのあづまや
悲しき別れの日に
けふすぎて水際みぎはに咲けるべこにやも
いかでか風にそがひ泣くらむ
という習作が残る。]
くれがた
あづさ弓(ゆみ)かへらぬひとの戀(こひ)しさに暮(く)れそめて降(ふ)る雪(ゆき)のはかなさ
[やぶちゃん注:底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「歌」と題する七首連作の巻頭に、
あづさ弓かへらぬひとの戀ひしさに
くれ初めてふる雪のはかなさ
というほぼ同形の習作が残る。]
うすらひ
めづらしき薄氷(うすらひ)を見(み)て裝(さう)ぞける宮城野部屋(みやぎのべや)のけさのきぬぎぬ
[やぶちゃん注:二首前と同じく底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第十首目に、
めづらしき薄氷(うすらひ)をみて裝(そう)ぞける
宮城野部屋のけさのきぬぎぬ
というほぼ同形(ルビ「そう」はママ)の習作が残る。]
ベコニヤ
うぐゐすの池端(ちへん)に鳴(な)けば夜(よ)をこめて枕邊(まくらべ)に散(ち)る白(しろ)きべこにや
[やぶちゃん注:「うぐゐす」「池端」はママ。全集校訂本文は「池端」を「池邊」と訂する。採らない。前に同じく底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第十一首目に、
うぐゐすの池端(ちへん)に鳴けば夜をこめて
まくらべに散るべこにやの花白きべこにや
というほぼ同形に直した推敲案が残る(取り消し線は抹消を示す)。]
菊(きく)
みちもせに俥俥(くるまくるま)と行(ゆ)きかへる今日(けふ)しも菊(きく)の節會(せちゑ)なるらむ
[やぶちゃん注:前に同じく底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第九首目に、
みちもせに俥俥(くるまくるま)と行きかへる
なにしか菊の節會なるらむ
という習作が残る。]
橋(はし)の上(うへ)にも柳(やなぎ)ちりかふ
ゑねちやのごんどら(ヽヽヽヽ)びともしづ心(こゝろ)なくてや柳散(やなぎちり)りすぎにけり
[やぶちゃん注:前に同じく底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第八首目に、
橋の上にも柳ちりかふ
ゑねちや(ヽヽヽヽ)のごんどらびともしづこゝろ
なくてややなぎ散りすぎにけり
という習作が残る。]
題(だい)しらず
こゝろばへやさしき人(ひと)とくれがたの水(みづ)のほとりを歩むなりけり
[やぶちゃん注:前に同じく底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「晩秋」と題する十二首連作の第四首目に、
こゝろばへやさしきひとゝくれ方の
水のほとりをあゆむなりけり
という標記違いの同一首が残る。]
バルコンの隅(すみ)
人(ひと)はいざ知(し)るや知(し)らめや短(みぢ)か夜(よ)の月(つき)の出窓(でまど)にくちづけしこと
[やぶちゃん注:「いざ」は底本校訂本文は「いさ」と『補正』する。従わない。「みぢかよ」はママ。底本全集第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「羽蟲の羽」と題する三十三首連作の第十首目に、
人はいさ知るや知らめやみぢか夜の
月の出窓にくちづけしこと
というほぼ同一の習作が残る。「みぢか夜」はママ。]
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