生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (4) ヒトの卵子
以上は卵生する動物の卵の例であるが、卵は必ずしも卵生する動物に限つてあるわけではない。哺乳類の如き胎生する動物でも胎兒の始は必ず一つの卵である。しかし鳥類などの卵とは違ひ頗る小さいから、その發見せられたものも比較的近いことで、昔は誰もこれを知らずに居た。人間の女などは年に十二三囘も卵を産み落としていながら、餘り小さいから當人さへ氣が附かぬ。人間の卵でも犬・猫・馬・牛の卵でも形も大きさも皆ほゞ同樣で、直徑僅に一粍の五分の一にも足らぬ小球であるから、肉眼ではたゞ針の先で突いた孔程により見えず、顯微鏡で覗いて見ても殆ど何の異なる所もない。即ち卵の時代には、人間でも猿でも犬でも猫でも全く同じである。哺乳類の卵の外面には稍々厚い透明な膜があるが、この膜を度外視して内容だけを「うに」や「ひとで」などの微細な卵に比べて見ると、いづれも嚢狀の大きな核と多少の顆粒とを含んだ原形質の塊で、その一個の細胞なることは明に知れる。されば鳥の卵などに比べて違ふ點は、一は滋養分を殆ど含まぬために小さく、他は滋養分を多量に含むために大きく、一は親の體内で發育するために單に膜を以て被はれ、他は親の體外で發育するために更に白身と殼とで包まれて居るといふだけで、いづれも一個の細胞である點に至つては毫も相違はない。
[やぶちゃん注:「その發見せられたものも」はママ。講談社学術文庫版では「せられたのも」とする。]
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