飯田蛇笏 靈芝 大正二年(二十句)
大正二年(二十句)
ゆく春や流人に遠き雲の雁
木戸出るや草山裾の春の川
古き世の火の色うごく野燒かな
人々の坐におく笠や西行忌
[やぶちゃん注:「西行忌」西行は建久元(一一九〇)年二月十六日に享年七十三歳で没した。但し、広く「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」の詠歌に従い、西行が臨んだ前日の釋迦入滅の同日二月十五日を忌日とする傾向が強いから、これも十五日であろうか(私はこの習慣を頗るおかしいと思っている。西行も後世のそのような風習を決して望んでいないと私は思う)。なお、旧暦だと大正元年の二月十六日は三月七日(水曜)に相当する。]
林沼の日の靜かさや花あざみ
[やぶちゃん注:「林沼」は「りんせう」と音で読んでいよう。]
ひえびえと鵜川の月の巖かな
[やぶちゃん注:「ひえびえ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
行水のあとの大雨や花樗
[やぶちゃん注:「大雨」は「たいう」と音で読んでいよう。
「花樗」は「はなあうち(はなおうち)」と読む。センダン・一名センダンノキの古名。ムクロジ目センダン科センダン
Melia azedarach の花。初夏五~六月頃に若枝の葉腋に淡紫色の五弁の小花を多数円錐状に咲かせる。因みに、「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」はこれではなく白檀の中国名(ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン
Santalum album)なので注意(しかもビャクダン
Santalum album は植物体本体からは芳香を発散しないからこの諺自体は頗る正しくない。なお、切り出された心材の芳香は精油成分に基づく)。]
あまり強き黍の風やな遠花火
囮鮎ながして水のあな淸し
[やぶちゃん注:「囮鮎」老婆心ながら、「をとりあゆ(おとりあゆ)」と読む。友釣り用のそれである。一般には雄よりも雌の方を用いた方が釣果が良いとされる。]
人の國の牛馬淋しや秋の風
秋風や野に一塊の妙義山
碪女に大いなる月や濱社
[やぶちゃん注:「碪女」は「きぬため」と読む。これは薪能での世阿弥の能「砧」の奉納舞の光景ででもあろうか。]
大峰の月に歸るや夜學人
ともし火と相澄む月のばせをかな
春隣る嵐ひそめり杣の爐火
冬の日のこの土太古の匂ひかな
雞とめに夕日にいでつ榾の醉
[やぶちゃん注:「雞とめに」の「雞」は「とり」で、恐らく庭に離してあった鷄を籠か小屋の内に留めに出たという景であろうが、下の句の「榾の醉」が分からぬ。蛇笏の真摯さからはこんなに早々と一人囲炉裏端に一献傾けていたとも思われぬから、これは囲炉裏端で榾を燃やしていたその熱気にふらりときたことをいうか。]
月低く御船をめぐる千鳥かな
山晴をふるへる斧や落葉降る