日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 25 砂糖菓子の細工物
日本人は散歩に出ると、家族のために、おみやげとして、如何につまらぬ物であっても、何かしら食品を買って帰る。竹中は、これは一般的な習慣だという。彼等は不思議な贈物をする。尊敬をあらわす普通の贈物は、箱に鶏卵を十個ばかり入れたもので、私は数回これを受取った。金子を贈る時には、封筒なり包み紙なりの上に、「菓子を買うに入用な資金」ということを書く。パーソンス教授は、大久保伯爵家から贈物として、背の高い、純白の松のお盆に、種々な形と色の糖菓を充したものを贈られた。それ等の一つ一つに意味がある。私はそれを写生せずにはいられなかった(図325)。先端が曲った物の、小さな束は、彼等が食用とする羊歯の芽である。弓形を構成するように曲げられた大きな物の上には、いう迄もないが彩色した、完全な藤の造花がついている。お菓子の上には菊の花形が押捺してある。これ等は紅白で、豆の糊(ペースト)と砂糖とで出来ている。日本人は非常にこの菓子を好むが、大して美味ではない。お盆は高さ十八インチもある。糖菓の大きさも、推察されよう。全体の思いつきが清澄で、単純で、芸術的であった。
[やぶちゃん注:「竹中」前出の竹中恒次郎か竹中成憲であるが、如何にも親しげにぽっと述べている感じからはモースの可愛がった恒次郎であるように思われる。
「菓子を買うに入用な資金」「御菓子料」という表書きのこと。
「パーソンス教授」東京大学理学部(数学担当)教授ウィリアム・パーソン(William Edwin Parson)。既注。
「大久保伯爵家」“the family of Count Okubo”。この直前に暗殺された大久保利通であろうが、正しくは彼は生前は伯爵の上の侯爵(marquis)であった。ただ、ウィキの「大久保利通」を見ると明治一七(一八八四)年七月に長男で継嗣であった大久保利和が侯爵に叙爵されたとあるから、この時点では利和は侯爵であって、かく呼称しているものか。
「紅白で、豆の糊(ペースト)と砂糖とで出来ている」「日本人は非常にこの菓子を好む」としつつ、モースは敢えて「大して美味ではない」と述べているところからは、落雁であろうか。私は落雁を美味しいと思わないからである。
「十八インチ」45・72センチメートル。]
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