昇天した歩兵 山之口貘
昇天した歩兵
村ではぼくのことを
疎開と呼んでいた
疎開はたばこに困ると
東の家をのぞいては
たばこの葉っぱにありついて
米に困ると
西の家をのぞいて
閻の米にありついたりしたのだ
その日も疎開は困り果てて
かぼちゃの買い出しに出かけたのだが
途中で引き返して来ると
庭の片隅にこごみ
奉公袋に火をつけた
日本ではつまりその日から
補充兵役陸軍歩兵なんてのも
不要なものに
なったからなのだ
[やぶちゃん注:初出は昭和三六(一九六一)年七月三十一日附『新潟日報』夕刊であるが、掲載時の詩題は「昇天した歩兵 ―まもなく八月十五日だ―」。
「奉公袋」「帝国陸海軍と銃後」というサイトの「奉公袋」に『奉公袋は、陸軍において入営及び戦地に赴くとき、必需品を入れていった袋で軍隊手牒、勲章、記章、適任証書、軍隊における特業教育に関する証書、召集及び点呼令状、その他貯金通帳など応召準備、応召のために必要と認めるものを収容するように袋の裏側に記されている。またこのほかに遺髪、爪袋、遺言書封入などが収められたという。そして在郷軍人はこの袋を常に準備していつでも召集により戦争に行けるよう、意識を高めていた』と解説されてある(リンク先では実物のそれが写真で見られる)。即ち、この詩にはまさに十六年前の昭和二〇(一九四五)年八月十五日の景(疎開していた茨城県結城妻静江さんの実家である)が描かれているのである。敗戦のこの時、バクさん、四十二歳。【2014年6月27日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。】]