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2014/03/16

篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年十二月

   大阪天王寺公園

月靑しかたき眠りのあぶれもの

 

月靑し寢顏あちむきこちむきに

 

夜もすがら噴水唄ふ芝生かな

 

なにはづの夜空はあかき外寢かな

 

[やぶちゃん注:以上の四句は十二月発行の『天の川』掲載句。「大阪天王寺公園」は現在、大阪府大阪市天王寺区茶臼山町にある市立公園。ウィキの「天王寺公園」によれば、上町台地の西端に位置しており、総面積は約二十八万平方メートルで、園内には天王寺動物園・大阪市立美術館・慶沢園を擁する大阪を代表する都市公園である。かつては天王寺図書館や天王寺公会堂、野外音楽堂もあった。明治三六(一九〇三)年に開かれた第五回内国勧業博覧会第一会場(第二会場は大阪府堺市堺区大浜で現在の大浜公園となっている)跡地の東側を。明治四二(一九〇九)年に会場公園として整備して「天王寺公園」としたもので(通天閣を含む西側は「新世界」となった)、その後、大正四(一九一五)年には東京上野・京都岡崎に次ぐ国内三番目の天王寺動物園が開園、大正九(一九二〇)年には住友家邸宅敷地が大阪市に寄付されて大阪市立美術館として開館していた。私はここの地理や沿革について暗いが、このウィキの記載の昭和六二(一九八七)年の項に、『天王寺博覧会開催に伴い、園内を再整備。映像館(マルチイメージシアター)などを設置する(閉幕後、公園主要部分はフェンスで囲われ、入場が有料となった。あいりん地区に近いため、公園内にはホームレスが多かったが、有料化と夜間が閉園となったことにより野宿ができなくなった)』という記載があり、それ以前の鳳作の吟詠時にも、この公園はそうした浮浪者が多くたむろしていたものか。鳳作にはこうした社会の底辺層の貧しい人々の、ある意味、強い生のエネルギーを詠んだ句が多い。それはプロレタリア俳句とは一線を画すものではあるが、鳳作俳句のこの社会的な視線には戦後の社会性俳句に通ずる極めて鋭いものが私には感じられるのである。]

 

颱風のあしたに地(ツチ)のすがしさよ

 

口に入る颱風の雨は鹽はゆし

 

[やぶちゃん注:「鹽」は底本では「塩」。]

 

ハタハタは野を眩しみかとびにけり

 

[やぶちゃん注:「ハタハタ」はバッタのことであろう。秋の季語である。直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目に属するバッタ上科 Acridoidea・ヒシバッタ上科 Tetrigoidea・ノミバッタ上科 Tridactyloidea のバッタ類の総称であるが、ここは有意に飛ぶ様からバッタ上科バッタ科ショウリョウバッタ亜科 Acridini 族ショウリョウバッタ属 Acrida cinerea やバッタ科トノサマバッタ Locusta migratoria また、バッタ亜目イナゴ科イナゴ亜科 Oxyinae・ツチイナゴ亜科 Cyrtacanthacridinae・フキバッタ亜科 Melanoplinae に属するイナゴ類をイメージした方がよいかとも思われる(本邦産のバッタ類は四十種を超える。但し、ウィキの「バッタ」によれば、バッタには『イナゴ(蝗)も含まれるが、地域などによってはバッタとイナゴを明確に区別する』とあるのでイナゴは除外しておいた方が無難かも知れない)。

「眩しみか」は形容詞シク活用「眩し」の終止形に+「~ので」「~から」の意の原因・理由を表わす連用修飾語を作る接尾語「み」+疑問の係助詞「か」の文末用法。眩しいと感ずるからなのか、の意であろう。

 なおこの句、昭和八(一九三三)年刊の篠田悌二郎の句集「四季薔薇」に所収されているという、

 はたはたのをりをり飛べる野のひかり

と、シチュエーションが驚くほどよく似ている(「学習院大学田中靖政ゼミOB・OG会 深秋会」のこの記事を参照されたい)。なお、この句は同年十二月発行の『傘火』に載ったのものであるから、時間的には篠田悌二郎の句の方が先行している。朗詠してみると、鳳作の句は一旦、中七に大きな――まさにグロテスクなバッタの足のような――ぎくしゃくしたブレイクがあって頗る求心的接写的、映像的にはクロース・アップの技法が意識されているように感ぜられるのに対して、篠田の句は、広角的魚眼的――まさに昆虫の複眼のような――マルチな光彩があるのに加え、圧倒的に韻律の滑らかさが心地よく優れている。]

 

唇の色も日燒けて了ひけり

 

妹が居やことにまつかき佛桑花

 

[やぶちゃん注:「佛桑花」(ぶつさうげ/ぶっそうげ)はビワモドキ亜綱アオイ目アオイ科フヨウ属ブッソウゲ Chinese hibiscus はハイビスカスの和名。]

 

獨り居の灯に下りてくる守宮かな

 

蛾をふ肢はこびゆく守宮かな

 

機窓に鏡のせある小春かな

 

[やぶちゃん注:「機窓」は「はたまど」で機織り機の置いてある別棟の機屋(はたや)若しくは機織り部屋の窓のことか? それとも何か独特の(機織り機に似た)構造の窓のことか? 「日本国語大辞典」にも「機窓」は乗らない。ネットで引っ掛かるのは、これ、飛行「機」の「窓」ばかりである。私は既にこの疑問を杉田久女の、

 燕に機窓明けて縫ひにけり

注で提示しているのだが、どうもここまでくると最初の私の解への確信度が増す。ここでしかもそれが宮古島の景であってみれば、そこに独特の南国のちゅらかーぎー(美人)の面影の立ってすこぶる雰囲気のある映像が浮かんでくるのである。]

 

新糖のたかきにほひや馬車だまり

 

[やぶちゃん注:「新糖」現在の黒糖新糖には特にルビはなく使われているから「しんたう(しんとう)」の読みでよいものと思われる。]

 

松蟬が鳴いてゐるなり午前五時

 

[やぶちゃん注:「蟬」は底本の用字。「松蟬」半翅(カメムシ)目頸吻亜目セミ型下目セミ上科セミ科セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ Terpnosia vacua の異名。ウィキの「ハルゼミ」によれば、『日本と中国各地のマツ林に生息する小型のセミで、和名通り春に成虫が発生する。晩春や初夏を表す季語「松蝉」(まつぜみ)はハルゼミを指す』。『ヒグラシを小さく、黒くしたような外見である。オスの方が腹部が長い分メスより大きい。翅は透明だが、体はほぼ全身が黒色』か『黒褐色をしている』。『日本列島では本州・四国・九州、日本以外では中国にも分布する』。『ある程度の規模があるマツ林に生息するが、マツ林の外に出ることは少なく、生息域は局所的である。市街地にはまず出現しないが、周囲の山林で見られる場合がある』。『日本では、セミの多くは夏に成虫が現れるが、ハルゼミは和名のとおり4月末から6月にかけて発生する。オスの鳴き声は他のセミに比べるとゆっくりしている。人によって表現は異なり「ジーッ・ジーッ…」「ゲーキョ・ゲーキョ…」「ムゼー・ムゼー…」などと聞きなしされる。鳴き声はわりと大きいが生息地に入らないと聞くことができない。黒い小型のセミで高木の梢に多いため、発見も難しい』。『日本ではマツクイムシによるマツ林の減少、さらにマツクイムシ防除の農薬散布も追い討ちをかけ、ハルゼミの生息地は各地で減少している。各自治体レベルでの絶滅危惧種指定が多い』。ここで鳳作が聴いているのは、もしかするとヒメハルゼミ属ヒメハルゼミ亜種ヒメハルゼミの

さらなる亜種オキナワヒメハルゼミ Euterpnosia chibensis okinawana Ishihara,1968 であるかも知れない(としても、種としての命名はご覧の通り、後のことである)。]

 

埼々に法螺吹きならす良夜かな

 

[やぶちゃん注:「埼々」は「さきざき」で、島の「崎々」の謂いであろう。万葉以来の古語である。これは宮古島で行われる悪霊払いの伝統行事の嘱目吟であろう。以下、ウィキの「パーントゥ」によると、『宮古島の歴史について書かれた『宮古島庶民史』(稲村賢敷、1948年)によれば、「パーン(食べる)+ピトゥ(人)」が訛化した言葉であると言う説が述べられている』。現在、平良島尻と上野野原の二つの地区で行われているが、両地区で内容が大きく異なる。その内の野原のパーントゥは旧暦十二月最後の丑の日に行われる(地元では「サティパライ」(里祓(さとばら)い)ともいう)。男女で構成し、女達は頭や腰にクロツグ(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科クロツグ Arenga engleri ウィキの「クロツグ」へのリンク。)とセンニンソウ(双子葉植物綱キンポウゲ目キンポウゲ科センニンソウ Clematis terniflora ウィキの「センニンソウ」へのリンク。)を巻き、両手にヤブニッケイ(双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科クスノキ属ヤブニッケイ Cinnamomum tenuifolium ウィキの「ヤブニッケイ」へのリンク。)の小枝を持つ。男の子の一人はパーントゥの面を着け、他のものは小太鼓と法螺貝で囃す(下線やぶちゃん)。夕方祈願のあと集落内の所定の道を練り歩き厄払いをする、とある。一方の平良島尻のものは来訪神の演出がマッドメンさながらで、仮面の蔓草を纏い全身に泥を塗った姿で三体登場し、誰彼構わず人や新築家屋に泥を塗りつけて回るもので、泥を塗ると悪霊を連れ去るとされているとある。]

 

   飛行場三句

近づけばみな着ふくれてローラ曳き

 

ひもすがら冬の海みてローラ曳き

 

ローラーの曳きすててあり芝枯るる

 

[やぶちゃん注:これら三句は昭和八(一九三三)年の末句であるが、この飛行場なるものがよく分からない。実は現在の宮古空港は昭和一八(一九四三)年に旧日本軍により海軍飛行場として建設されたものであるが、ネット上の諸記載を見る限りでは、それ以前には宮古島には飛行場に相当するものはなく、総ては交通を船舶に頼っていたとあるばかりだからである。まさか、実にこの年に起工してやっと十年後に出来上がったとでもいうのであろうか? 識者の御教授を乞うものである。]

 

海鳴のさみしき夜學はげみけり

 

[やぶちゃん注:以上、十九句は十二月の発表及び創作句。]

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