萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「午後」(4) たそがれ Ⅰ
たそがれ
海ちかき殖民地をばたそがれて
そゞろありきす如きさびしみ
[やぶちゃん注:「殖民地」はかく書く場合もある。]
淡雪の解くる岡邊に一人きて
はこべをつむもなぐさまぬ哉
冬の日は淋しく沈む野に出でゝ
日暮れはものを思ふならはし
ちゆうりつぷの花咲く頃はうらぶれし
我も野に出で口笛を吹く
君まつと昔いくたび佇みし
門の扉にかゝる落日
場末なる酒屋の窓に身をよせて
悲しき秋の夕雲を見る
[やぶちゃん注:朔太郎満二十六歳の時の、大正二(一九一三)年十月二十八日附『上毛新聞』に発表した連作の一首、
塲末(ばすへ)なる酒場(さけば)の窓(まど)に身(み)をよせて悲(かな)しき秋(あき)の夕雲(ゆうぐも)を見(み)る
の表記違いの相同歌。]
宿醉のあしたの床にふと思ふ
そのたまゆらの鈍き悲しみ
晝過ぎのホテルの窓に COCOA のみ
くづれし崖の赫土をみる
[やぶちゃん注:「赫土」はママ。朔太郎満二十三歳の時の、『スバル』第二年第一号(明治四三(一九〇二)年一月発行)に掲載された連作の一首、
窓ひるすぎの HOTEL の窓に COCOA のみくづれし崖のあかつちをみる
の表記違いの相同歌。]
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