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2014/03/02

篠原鳳作句集 昭和七(一九三二)年十二月



舟にゐて家のこほしき雨月かな

 

[やぶちゃん注:「こほしき」は「こほし(こおし)」で「恋ほし」、形容詞シク活用の「恋(こひ)し」の古形。]

 

天津日に舞ひよどみける鷹の群

 

[やぶちゃん注:「天津日」「津」は「の」の意の格助詞で天の日輪、天空の太陽。]

 

鷹降りては端山鳥は啼きまどふ

 

[やぶちゃん注:「端山鳥」は、はしくれの山鳥どもの謂いであろう。]

 

夕されば小松に落つる鷹あはれ

 

  十月中旬毎日幾千とも知れぬ鷹つばさを

  つらねて渡り中天に舞ふさまは壯觀云は

  ん方なし琉球舞踊は鷹の舞ふさまより來

  しもの多しと云ふ

 

荒波に這へる島なり鷹渡る

 

和田津海の鳴る日は鷹の渡りけり

 

知らぬ童にお辭儀されけり野路の秋

 

つなぎ舟多くなりたる踊かな

 

織初めの女にまじる漢かな

 

[やぶちゃん注:「漢」は「をおこ」と訓じていよう。]

 

海の風ここにあつまる幟かな

 

たどたど蝶のとびゐる珊瑚礁(リーフ)かな

 

蝶々とゆきかひこげるカヌーかな

 

春曉や聲の大きな水汲女

 

村の童の大きな腹や麥の秋

 

鱶のひれ干す家々や島の秋

 

汐しぶき宮居を越ゆる野分かな

 

大いなる日傘のもとに小商ひ

 

傘日覆莚日覆の出店かな

 

靑簾つりし電車や那覇の町

 

[やぶちゃん注:我々は沖繩の鉄道は、二〇〇三年に開業した那覇市内のモノレール、沖縄都市モノレール線、通称ゆいレールが最初だと思い込んでいるが、実は戦前の沖縄本島には軽便鉄道や路面電車及び馬車鉄道があった。また、サトウキビ運搬などを目的とした産業用鉄道も南大東島をはじめとして各地に存在した。参照したウィキ沖縄鉄道」によれば、明治時代、『沖縄県内で初めて鉄道のレールが敷かれたのは南大東島で、1902年(明治35年)に手押しトロッコ鉄道が完成している。また、1910年(明治43年)には沖縄本島でもサトウキビ運搬用の鉄道が導入されている』。但し、『運輸営業用の本格的な鉄道路線は、1894年(明治27年)から県外の資本家などが沖縄本島内での起業を相次いで出願しているが、そのほとんどは却下されたり、あるいは資金力が伴わずに計画倒れに終わっている』。『1910年(明治43年)3月に沖縄電気軌道(後の沖縄電気)が特許を受けた軌道敷設計画は唯一実現する運びとなり、1914年(大正3年)5月に運輸営業を行う鉄道としては沖縄初となる路面電車が大門前―首里間に開業した。続いて半年後の11月には、東海岸側の西原にあったサトウキビ運搬鉄道を拡張する形で沖縄人車軌道(後の沖縄馬車軌道)の与那原 - 小那覇間が開業した』。『一方、明治時代の民間による鉄道計画の大半が挫折したことから、県営による鉄道敷設の気運も高まり、沖縄人車軌道の開業から1か月後の12月には沖縄県営鉄道が那覇―与那原間を結ぶ軽便鉄道を開業させた』。『大正末期には県営の軽便鉄道が那覇を中心に嘉手納、与那原、糸満を結ぶ3路線を完成させ、沖縄電気も路線を延伸。さらに那覇と糸満を結ぶ糸満馬車軌道が新たに開業し、沖縄本島の鉄道は最盛期を迎えた』。『昭和時代に入ると、沖縄本島では道路の整備に伴い自動車交通が発達し、鉄道はバスとの競争に晒される。県営鉄道は気動車(ガソリンカー)を投入するなどして対抗するが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道は利用者の減少で廃止に追い込まれた。この結果、沖縄本島内の鉄道は沖縄県営鉄道と沖縄軌道(旧・沖縄馬車軌道)だけとなるが、両者とも太平洋戦争末期の沖縄戦の直前である1944年(昭和19年)―1945年(昭和20年)に運行を停止し、鉄道の施設はミスによる引火事故や空襲・地上戦によって破壊された』とある。]

 

この辻も大漁踊にうばはれぬ

 

[やぶちゃん注:以上二十句は底本では十二月のパートに配されてある(但し、「知らぬ童に」以下の十四句は総て「雲彦沖縄句輯」からで、その前の句が十二月の発表句である)。]

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