橋本多佳子句集「信濃」 昭和十七年 Ⅵ
花おふち梢のさやぎしづまらぬ
[やぶちゃん注:「花樗」は「はなあうち(はなおうち)」と読む。センダン、一名センダンノキの古名。ムクロジ目センダン科センダン Melia azedarach の花。初夏五~六月頃に若枝の葉腋に淡紫色の五弁の小花を多数円錐状に咲かせる。因みに、「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」はこれではなく白檀の中国名(ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album)なので注意(しかもビャクダン Santalum
album は植物体本体からは芳香を発散しないからこの諺自体は頗る正しくない。なお、切り出された心材の芳香は精油成分に基づく)。]
どくだみの白妙梅雨の一日昏る
美代子入試のため曉よりはげむ 二句
こがね虫吾子音讀の燈をうちうつ
學ぶ子に曉四時の油蟬
[やぶちゃん注:橋本多佳子の四女橋本美代子(大正一四(一九二五)年~)はこの後、母に倣って『天狼』に入会、同じく山口誓子に師事した。昭和三五(一九六〇)年に『天狼』同人となり、その後、『七曜』同人から堀内薫より主宰を継承(一九九一年)、現在、奈良県在住。年譜の昭和一七(一九四二)年の冒頭(?!)には『四女美代子、女学部入試のため午前四時ごろ起床し勉学』とあるが、この「女学部」とは彼女の卒業した帝塚山学院文学部高等科のことを指すと考えられる。この年譜は異様に饒舌な、拘りのある頗る特異な年譜なのであるが、ここも一読誰もが奇異に思われようところである。種明かしをすれば、この橋本多佳子年譜自体が美代子の師堀内薫よるものだからである。]