飯田蛇笏 靈芝 大正十一年(十句)
大正十一年(十句)
ぱらぱらと日雨音する山椿
[やぶちゃん注:「ぱらぱら」の後半は底本では踊り字「〱」。「山廬集」では、
ぱらぱらと日雨音しぬ山椿
と改稿する。「日雨」は「ひさめ」と読むか。「日本国語大辞典」にも載らず、ネット検索でも掛からないが、恐らくは天気がよく晴天であるのに降る天気雨のことであろう。同義語として日照雨(ひでりあめ)という呼称があると、参照したウィキの「天気雨」にある(因みに他には「狐の嫁入り」「涙雨」「天泣」などの呼称があり、沖縄県では比較的日常的にみられる現象で方言で「太陽雨(てぃーだあみ)」と呼ばれる)。それによれば、天気雨は『雨粒が地面に到達するまでに雨雲が消滅・移動した場合に発生する。特に雲が対流雲だと、降雨後10分程度で雲が消えるため、天気雨が発生しやすい』。『また遠方で降った雨が強い横風に流されることで天気雨になることもある。特に山間部では、山越えの際に雲が消えてしまうので、山越えの風に雨粒だけが乗って飛んでくることになり、その場合、天気雨を見ることができる』とあり、蛇笏の隠棲していた山梨とよく附合する。]
秋分の時どり雨や荏のしづく
[やぶちゃん注:「時どり雨」不詳。「ときどりあめ」では「日本国語大辞典」にも載らない。ただ、同辞典には「時取」という語が載り、そこには意味の一つとして、『事を行うにさして際して、あらかじめ時間を取り決めておくこと』という意があり、これを拡大解釈すれば、――例えば、秋分の時節には、昔から決まって雨が降るという言い伝えが蛇笏がいた地方にはあって、この大正一一(一九二二)年の秋分の日にはその通りに雨が降った――ということであろうか? 但し、秋分の頃にそうした特異日があるという記載はネット上には見出せないし、そうした言い伝えが山梨にあるという話も聴いたことはないから、あくまで私の苦しい解釈ではある。識者の御教授を乞うものである。
「荏」は「え」と読んでいよう。「山廬集」では、後に『註。荏は紫蘇に似たる植物にして食用に供するこまかき香氣強き實を簇生す』という蛇笏の自注がある。シソ目シソ科シソ属エゴマ変種エゴマ
Perilla frutescens var. frutescens のこと。ウィキの「エゴマ」によれば、『シソ科の一年草。シソ(青紫蘇)とは同種の変種。東南アジア原産とされる。地方名に「ジュウネン」(食べると十年長生きできる、という謂れから)などがある』とあり、『古名、漢名は「荏」(え)。食用または油を採るために栽培される。シソ(青紫蘇)とよく似ており、アジア全域ではシソ系統の品種が好まれる地域、エゴマ系統の品種が好まれる地域、両方が栽培される地域などが見られるが、原産地の東南アジアではシソともエゴマともつかない未分化の品種群が多く見られる』。『葉などには香り成分としてペリラケトン(Perilla ketone)やエゴマケトン(Egoma ketone、3-(4-Methyl-1-oxa-3-pentenyl)furan)などの3位置換フラン化合物が含まれ、大量に摂取した反芻動物に対して毒性を示す』。高さは六〇センチメートルから一メートル程度で、『茎は四角く、直立し、長い毛が生える。葉は対生につき、広卵形で、先がとがり、鋸状にぎざぎざしている。付け根に近い部分は丸い。葉は長さ』は七~十二センチメートル、『表面は緑色で、裏面には赤紫色が交る。花序は総状花序で、白色の花を多数つける。花冠は長さ』四~五ミリメートル、『花弁は4枚で下側の2枚が若干長い』。『日本ではインド原産のゴマよりも古くから利用されている。考古学においてはエゴマをはじめとするシソ属種実の検出が縄文時代早期から確認されており、エゴマ種実は縄文中期の長野県荒神山遺跡で検出されている』。『また、クッキー状炭化物からも検出されていることから食用加工されていたと考えられており、栽培植物としての観点から縄文農耕論においても注目されている。中世から鎌倉時代ごろまで、搾油用に広く栽培され、荏原など、地名に「荏」が付く場所の多くは栽培地であったことに由来する』。『種子は、日本ではゴマと同様に、炒ってからすりつぶし、薬味としたり、「エゴマ味噌」などとして食用にされる』。『岐阜県の飛騨地方では、「エゴマ味噌」の事を「あぶらえ」と呼び、五平餅や焼いた餅に付けたり、茹でた青菜や煮たジャガイモにあえて食べるなど、生活に密着して食用されている』とある。]
月の木戸しめ忘れたる夜風かな
谷橋に見る秋虹のやがて消ゆ
秋の雲しろじろとして夜に入りし
[やぶちゃん注:「しろじろ」の後半は底本では踊り字「〲」。]
出水川とゞろく雲の絶間かな
うす霧に日當る土の木の實かな
めぐまんとする眼うつくし小春尼
雪やんで月いざよへる雲間かな
老ぼれて子のごとく抱く湯婆かな
[やぶちゃん注:「湯婆」は「たんぽ」と読む。湯たんぽ。因みに「たんぽ」の語は「湯婆」の唐音から転用されたものといわれる。]
« 篠原鳳作句集 昭和七(一九三二)年十一月 | トップページ | 萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「若きウエルテルの煩ひ」(10)「ゆうすゞみ」(Ⅱ) ~ 「ゆうすゞみ」了 »