萌芽 山之口貘
萌 芽
空家のやうにがらんとしてゐる夜である
誰かそこにゐて
これがあるか、 といふやうに
小指を僕に示して見せる相手があるならば
ないんだよ、 と卽答出來る自信で僕の胸はいつぱいなのである。
蟹の眼のやうに僕は眼をとんがらせて夜ぢゆう小指のシノニムを夢見てゐる
公設市場で葱を指ざしてゐたあの女
追ひついて行つて橫目で見てやつたときのあの女
女や女を
または女を思ひ出しながら
僕は夢見てゐる
今度といふ今度こそは女をみつけ次第
その場にひざまづいて僕は一言さゝげたいのである
女さまよ、と
[やぶちゃん注:【2014年6月25日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。以下の注を追加した。】初出未詳。「定本 山之口貘詩集」では、三箇所の読点が総て除去されて字空けとなっている。
【二〇二四年十月三十一日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここ)、正規表現に訂正した。]