飯田蛇笏 靈芝 昭和六年(四十一句) Ⅰ
昭和六年(四十一句)
船のりの起臥に歳立つ故山かな
一管の笛にもむすぶ飾りかな
雲ふかく蓬萊かざる山廬かな
わらんべの溺るゝばかり初湯かな
大和路や春たつ山の雲かすみ
古き代の漁樵をおもふ霞かな
やまぐにの古城にあそぶ餘寒かな
別府郊外、果秋の墓に詣づ
春寒くなみだをかくす夫人かな
[やぶちゃん注:「果秋」不詳。句柄から若くして亡くなった俳人か。気になる。識者の御教授を乞う。]
長門東行庵
春さむく尼僧のたもつ齡かな
[やぶちゃん注:「東行庵」山口県下関吉田町にある曹洞宗曹洞宗清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)。高杉晋作の霊位礼拝堂として明治一七(一八四四)年に創建され、本尊は白衣観音菩薩。初代庵主は高杉晋作の愛妾「おうの」で、晋作の死後、明治一四(一八四一)年に曹洞宗総本山永平寺貫主久我環渓禅師から得度を受け、「梅処」(ばいしょ)と称して晋作の眠るこの地で菩提を弔うことを余生としたと伝えられ、二代「梅仙」、三代「玉仙」から現在は松野實應兼務住職へ受け継がれている。当初は晋作の盟友であった山縣有朋所有の建物「無隣庵」を当てていたが、後に旧藩主毛利元昭を初め、伊藤博文・井上馨等の寄付によって東行庵として同庵に隣接して新築され、現在に至る。庵内の仏壇には高杉晋作とともに山縣有朋の位牌も安置されていると、「東行庵」公式サイトの「縁起」にある。早春の梅・初夏の菖蒲・秋の紅葉の名所としても知られているらしい。]
心齋橋寒々居
春宵の枕行燈灯を忘る
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