萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「午後」(2)
拳固(こぶし)もて石の扉をうつ如き
愚かもあへて君ゆへにする
[やぶちゃん注:原本は「愚かもあへて」は「禺かもあへて」であるが、以下の重出作同様に訂した(底本校訂本文も同じく訂している)。本歌は七首前、本「午後」の第二首目の、
拳もて石の扉をうつ如き
愚かもあへて君ゆへにする
の重出。手書き作成したものであるから、恐らく後から気がついたものの、修正を施さなかった(施せなかった)ものと思われる。]
言ひ給へけしうはあらず我とても
この頃知りぬ少しく知りぬ
紅(くれない)の軍服着たる友の來て
今日も語りぬワグネルのこと
[やぶちゃん注:「くれない」はママ。この「友」は軍人ではなく(日本の軍服に赤いものは襟章を除いてない)イギリスの近衛兵の上着のような(若しくはそのもの)「紅の軍服」を伊達に着ているものと思われる。]
かにかくと何を思ふや嬉しき日
何故わがやうにものを言はれぬ
春ゆうべとある酒屋の店さきに
LIQUR
の瓶を愛でゝかへりぬ
春の夜の酒は泡だつ三鞭酒(シヤンパニユー)
樂はたのしき戀のメロデイ
[やぶちゃん注:「シヤンパニユー」はママ。]
樂しされどやゝ足らはぬよ譬ふれば
序樂をきかぬオペラ見るごと
[やぶちゃん注:朔太郎満二十三歳の時の、『スバル』第二年第一号(明治四三(一九〇二)年一月発行)に掲載された歌群の一首、
たのしされどやや足らはぬよ譬ふれば序樂をきかぬオペラみるごと
の表記違いの相同歌。]
妹が折々すなる態(しな)をして
もだして居りぬ女の中に
[やぶちゃん注:不思議な一首である。この「女の中に」「居」るのは「妹が折々すなる態をして」黙ったままでいる朔太郎自身である。]
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