中島敦 南洋日記 一月二十一日
一月二十一日(水) ウリマン
朝八時半。不平顏の島民に荷を擔はせて先に立たしむ、日の中にアルコロン迄行く男なり。九時出發、はじめは椰子林中の道にて快し。Ngalaiel にチャモロ家屋三軒。白人めきたる少年挨拶す。このあたりより道はマングローブ地帶を行き、泥濘甚だし。左右のタカホ廢田。カンコン。カンコンの花。猫二匹。所々の廢村。水溜り。椰子の葉。丸太。歩きにくきこと甚だし。十時半頃漸くガクラオに達す。コロールへの、割當農産物積出の日。女達の頭にのせし芋。十四五の一少女土方氏に慣々しく話しかけ、村まで同行す。土方氏のコンパの家の少女なり。但し、主人は人夫にとられて不在。その留守宅にて茶を沸かさせ晝食をとる。細君歸り來る。子供等三人。雞。アミアカの實旨し。一老人來り告ぐ、朝、荷を負はせて立たしめし島民はウリマン迄行かず、此處にリュックを置いて行きたりと。不埒な奴なり。リュックを置きし家もさだかならず。漸くにして探し出す。十一時半出發。今度は、ずつと道良し。鷺の聲など聞きつゝ、一時間足らずにしてウリマンに入る。村吏事務所に荷を置き佐藤校長の所に挨拶。戸井田氏に大谷氏よりのことづけものを渡す。晝寐。海岸に出て宿かりと遊ぶ。スコール、虹。貝拾ひの子供等。戸井田氏の息、八歳なるが來りて頻りに話し掛く。夕食はおじや。佐藤氏より小鰯の揚物。を一
食後、バス。歸りて、戸井田氏より到來のマングローブ蟹を食ふ。うまし。島民音吉なる者と無駄話をす。九時過就寢。時に椰子の實のドスンと落つる音。波の響
[やぶちゃん注:「アルコロン」パラオの最大の島バベルダオブ島の最北端に位置する地域。
「Ngalaiel」現在のアルコロン州は英名“State of Ngarchelong”で何となく似ている。英語版のパラオの地図を見ると、アルコロン州に向う途中のバベルダオブ島内の地名には“Nga-”が接頭語のようについている場所が多い。
「カンコン」恐らくナス目ヒルガオ科サツマイモ属ヨウサイ(蕹菜)
Ipomoea aquatica 、所謂、クウシンサイ(空心菜)のことと思われる。英名は“Water Morning
Glory”とか“water spinach”で、推理の根拠はフィリピンでは“kang kong”(カンコン)、インドネシアでは“kangkung”(カンクン)と呼称するからである。参照したウィキの「ヨウサイ」によれば、『つる性多年草だが、作物としては一年草扱い。東南アジア原産で、古くは沖縄県方面を経て九州に渡来した』とあり、『湿地で多く栽培され、水耕栽培も可能。外見はサツマイモに似ており、茎は中空で這う。葉は切れ目の入った長卵形。アサガオのような淡紫色または白色の花を付けるため、朝顔菜(あさがおな)の別名もある。最低気温が10度を下回ると、茎も根も枯れる。九州以北の露地栽培では花をつけても種をつけず、自生繁殖による生態系への影響は発生しない』。『汽水域や塩分を含む農地での栽培が可能であることが、恵那農業高等学校の研究で確認された(2010・2011年)。津波の流入した農地で栽培し塩分の吸収が確認できたことから、津波被災地や海岸近くの農地での栽培に期待が高まっている』。『水辺に生育し、水面に茎(空洞で節がありフロートと同じ)を浮かせて進出する。暑さに強く水上で栽培すると大量に根を伸ばして水をよく吸収することから、近年では湖沼などの水質浄化活動によく用いられている』。『茎葉を主に炒め物または中華風のおひたし』『として、中国やフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジアで用いる。ニンニクといっしょに、塩味で炒めたり、魚醤の類や豆豉で味付けして炒めたりすることが多い』。また、『オーストラリアの先住民族アボリジニの間ではブッシュ・タッカーとして古くから消費されてきた』(但し、ここは出典要求が出されている)とあるから、パラオの廃田中に生えていたとしても強ち違和感がないように思われるが、如何? リンク先で朝顔に似た花も見られる。
「アミアカ」これは恐らくバラ亜綱フトモモ目 Myrtalesシクンシ科モモタマナ属 Terminalia catappa のことを指していると考えられる。「九月十日」の日記で既注であるが再掲すると、マレー半島原産とされる熱帯植物(沖縄や小笠原にも自生)。英名で“tropical almond”とか“Indian almond”と呼び、種子の仁が食用となる。材は硬く良質であるため、建築用材や家具に用いられ、街路樹・庭木・海岸の防風林として植栽される(以上は高橋俊一氏のサイト「世界の植物-植物名の由来-」の「モモタマナ」に拠り、そこには『種子の仁(ジン)は食用となり、アーモンドのような味ということだが食べたことはない』『茶色いタネを、持っていた小型ナイフで割ってみた。苦労して「仁」を取り出してみたが、食べられるような感じではなかった』とはある)。「九月十日」の日記にあ「(a mȉeh)」というこの木の名の現地音を写したものと思われる記載があるが、この「(a mȉeh)」は「アミアカ」という音にも近いようにも見えるのである。]
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