中島敦 南洋日記 一月二十六日
一月二十六日(月) アイミリーキ
アラカべサン、アミアンス部落の移住先を尋ねんと、九時頃土方氏と出發、昨日の道を逆行。如何にするも濱市に到る徑を見出し得ず。新カミリアングル部落の入口の島民の家に憩ひ、一時間餘待つた末、爺さん(聾)に筏を出して貰ひ、マングローブ林中の川を下る。マングローブの氣根。細長き實の水に垂れたる、面白し。三十分足らずにして、濱市の小倉庫前に達し、上陸。兒童の案内にてアミアンス部落に入る。頗る解りにくき路なり。移住村は今建設の途にあり。林中を伐採し到る所に枯木生木、板等を燃しつゝあり。暑きこと甚だし。切株の間を耕して、既に芋が植付けられたり。アバイ及び、二三軒の家の外、全く家屋なく、多くの家族がアバイ中に同居せり、大工四五人、目下一軒の家を造りつゝあり。朝より一同働きに出て今歸り來りて朝晝兼帶の食事中なりと。又、一時となれば皆揃つて伐採に出掛くる由。粥を炊かせ、新屋の竹のゆかの上にて喰ふ。今日の粥にはディスを掛けたり。食後少時晝寐。時に小雨あり。二時出發。丘上なる濱市の民間學校を目掛けて行く。前日遙かに望みし階段狀丘陵地なり。うつぼかつら多し。眺望良し。涼し。學校下の琉球人の家にて道を訊ぬるに、主人は内にありて子供をして云はしむるに、子供は徒らに人を恐れてハツキリせず。タピオカの所の道云々。されど、それらしき路も無きまゝに、大通より分岐せる小道を下り行きしが、忽ちにして道盡く。畑より畑へと、さまよへどもつひに澤に下りる能はず、丘上の道より見れば南熱研は直ぐ其處に見ゆるに、何としても近づく能はず、再び舊路に戻り學校に到り先生に教へられて所謂タピオカの所の道を發見す。分らぬが當然。道とは思へぬ道なり。沿えかゝりし徑を叢を分けつゝ進み、小川を渡るに及んで漸く路らしくなる。山の中腹を縫ひて、澤に出で、危き倒木橋を渡り、やうやくにして本道に出づ。四時過熱研に着。をかしき一日の遊行なりし。さるにてもカミリヤンガル部落の靑年の傲岸と、琉球人の曖昧・不親切とには全く腹の立つことなり。夜、小林氏より今日迄の新聞を借りて讀む。月明るし。
[やぶちゃん注:太字「ゆか」は底本では傍点「ヽ」。
「濱市」アラカべサン島の和名固有地名と思われるが、位置同定出来ず。
「ディス」不詳。]