上り列車 山之口貘
上り列車
これがかうなるとかうならねばならぬとか
これがかうなればかうなるわけになるんだから かうならねばこれはうそなんだとか
兄は相も變らず理窟つぽいが
まるでむかしがそこにゐるやうに
なつかしい理窟つぽいの兄だつた
理窟つぽいはしきりに呼んでゐた
さぶろう
さぶろう と呼んでゐた
僕は自分がさぶろうであることをなんねんもなんねんも忘れてゐた
どうにかすると理窟つぽいはまた
ばく
ばく と呼んでゐた
僕はまるでふたりの僕がゐるやうに
ばくと呼ばれては詩人になり
さぶろうと呼ばれては弟になつたりした
旅はそこらに鄕愁を脫ぎ棄てゝ
雪の斑點模樣を身にまとひ
やがてもと來た道を搖られてゐた
[やぶちゃん注:【2014年6月26日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を全面改稿した。】初出は昭和一四(一九三九)年三月発行の『むらさき』。
原書房昭和三三(一九五八)年刊の「定本 山之口貘詩集」では、第一連が二行目を途中で改行して、残りを、新たに一行として続けている。特にここでは新字化されたその全篇を示すこととする。
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上り列車
これがかうなるとかうならねばならぬとか
これがかうなればかうなるわけになるんだから
かうならねばこれはうそなんだとか
兄は相も変らず理屈つぽいが
まるでむかしがそこにゐるやうに
なつかしい理屈つぽいの兄だつた
理屈つぽいはしきりに呼んでゐた
さぶろう
さぶろう と呼んでゐた
僕は自分がさぶろうであることをなんねんもなんねんも忘れてゐた
どうにかすると理屈つぽいはまた
ばく
ばく と呼んでゐた
僕はまるでふたりの僕がゐるやうに
ばくと呼ばれては詩人になり
さぶろうと呼ばれては弟になつたりした
旅はそこらに鄕愁を脫ぎ棄てて
雪の斑点模様を身にまとひ
やがてもと来た道を搖られてゐた
*
「兄」は洋画家長兄山口重慶(十歳上)であろう。但し、年譜ではこの兄の上京は載らない。重慶は敗戦の年の十一月、栄養失調によって亡くなった。
私はこの第二連が殊の外、気に入っている。多分これは、雪の地方(私の場合は富山県高岡市伏木)に住んだことのある人間だけに真に分かる仄かに哀しい死に至る郷愁=懐郷病・НОСТАЛЬГЙЯ(ノスタルギア)であると勝手に思っているのである。
【二〇二四年十一月五日追記・改稿】このバクさんの第二詩集「山之口貘詩集」(昭和一五(一九四〇)年十二月山雅房刊。処女詩集「思辨の苑」の全詩篇五十九篇と、同詩集刊行後に創作した詩十二篇を追加したもの)の新作分を、国立国会図書館デジタルコレクションの原本(左のリンクは表紙。扉の標題ページ。次を開くと、著者近影がある。目次はここからで、最後に『自二五八三至二六〇〇』とある。なお、バクさんの詩集内の配列は「思辨の花」と同じで、最新のものから古いものへの降順配置である。これには、バクさんらしい新しい詩をこそ自分としては読んで貰いたいという詩人の矜持というか、光栄が感じられる。目次の後の標題はここで、奥附はここ)で校訂した。当該部はここから。]