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2014/03/10

篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年七月



龍舌蘭(トンビヤン)すくすく聳てば島の夏

 

[やぶちゃん注:「龍舌蘭(トンビヤン)」これは完全な当て読みで、「トンビャン」とは元来はこの龍舌蘭(単子葉植物綱クサスギカズラ目クサスギカズラ科リュウゼツラン亜科リュウゼツラン属 Agave の一種)から採取される繊維を用いて作った琉球の幻の織布の名称である。ネット上の記載では「桐板」と書いて「トンビャン」「トゥンビャン」「トンバン」と読んだのが発音の由来であるらしく思われ、中国から入った織物で琉球王朝時代には中・上流階級で愛好されていたが、二十世紀に入って技術が途絶えたとある。最も信頼のおける沖縄県立図書館の「貴重資料デジタル文庫」内にある琉球の染織に関する基礎知識には、

   《引用開始》

桐板は琉球王府時代から戦前まで用いられていた織物素材で中国から輸入されていた。 中・上流階級の間で使用され、繊維は非常に透明でハリがあり、ケバがほとんどなく撚りをかけずに織られるのが特徴で、独特のひんやりとした触感があり夏用素材として珍重された。 糸が撚りつぎで作られていることにも特徴がある。この東恩納寛惇文庫『琉球染織』資料には、桐板を使用した織物が多く収集されており、 桐板の利用状況を知る上で貴重な資料である。

染料には藍、ハチマチバナ(紅花)クール(紅露)、鬱金(ウコン)、テカチ(車輪梅)、グールー(サルトリイバラ)、楊梅、福木、ユウナ(オオハマボウ)、梔子、日本・海外との交易による蘇木、臙脂など主に植物染料を用いていた。

《引用終了》

とある。ところが、不思議なことにここには原繊維をリュウゼツランと同定する記載がない。ネット上をいろいろ調べてみると、この中国から輸入されたそれの繊維素材若しくは織布は実はリュウゼツランではなくて苧麻(ちょま:双子葉植物綱イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea )であった可能性もあるらしいが(しかし、琉球では織物の原繊維に苧麻も使われているから誤認や混同は不審である)、例えばこちらの沖縄の衣生活(戦前の昭和一六(一九四一)年田中薫調査時の記録よりとある)の「沖縄 着物の着方(ウシンチー) 1941年撮影 田中薫」のキャプションには(一部記号を変えた)、

   《引用開始》

典型的な琉装着物の前を合せ、ハカマ(下着)の堅く締めた紐に挟み込むだけで帯を用いない。この着方を「ウシンチー」と言う。着崩れなく着こなすことは現代の若者にはもう出来ない。着丈は短く、袖は広く短く袂がなくて「きもの」として最も通気性が高い。

 左の画像は夏の通常着であるが布地は経糸が「とんびゃん(桐板)」といって龍舌蘭の一種からとる繊維、緯糸は芭蕉の糸で織ったもの。汗をよくはじく。この写真では右前(右衽)に合せているが、古くは左前(左衽)に着た。1941年には左前が40%くらい見られた

   《引用終了》

とあってリュウゼツランを原繊維としていたことがはっきりと書かれている(「衽」は「おくみ」と読み、着物の左右の前身頃(まえみごろ)に縫いつけた襟から裾までの細長い半幅(はんはば)の布のこと)。

【「龍舌蘭(トンビヤン)」についての追記】その後、ミクシィの友達で、小生が「姐さん」と呼んで敬愛申し上げている、染色から織りまで手掛けていらっしゃるHN「からからこ」姐さんという女性の方に個人的にレスキューをお願いしたところ、先日、以下のような御消息を頂戴した(一部表現やリンクなどを加工させて戴いた)。

   *

多々良尊子「長田須磨が描いた明治時代の奄美の衣生活文化 -芭蕉布から木綿へ-」(PDFファイル)のP35に「桐板」についての記述があります。

   《引用開始》

注6:桐板(長田さんは,とゥンビャンと表している)は,沖縄で用いられた白く透き通った高級な夏用織物である。中国福建省から原糸が輸入されていたが,第二次世界大戦により途絶えたため「幻の織物」と言われている。一般には,竜舌蘭から採った繊維ではないかとされてきたが,近年,中国産の苧麻であるとの研究結果が報告されている。『わが奄美』では,桐板が奄美に残っていたことや,竜舌蘭の葉を灰汁で煮て葉脈から繊維を採ったという経験も述べられている。しかし,竜舌蘭の繊維は硬く,衣服ではなく網や綱として用いられたのではないかと思われる。

   《引用終了》

長田須磨(おさだ すま)さんは、明治三五(一九〇二)年生まれで、筆者の多々良尊子さんは現在、鹿児島県立短期大学生活科学科教授です。

 また、沖縄県立図書館の貴重資料から「桐板の繊維」も見てみました。

 琉球染織1-41(経糸:木綿 緯糸:桐板)

 琉球染織42(経糸:白は桐板・茶色は木綿 緯糸:芭蕉 絣糸:経・緯ともに木綿)

これでも[やぶちゃん注:リンク先には繊維の拡大写真があり、簡単な解説も附されている。]、分かるように木綿のガサガサとした、感じとは雲泥の差があり、非常に柔らかな感触が伝わってきます。透明感もあり、また、ふっくりとしていて空気をよく含むので、夏も涼しいというのも納得できます。庶民には到底手の届くような代物ではなかったのでしょうね。

 意外なのは、「一般財団法人 ボーケン品質評価機構」のサイト内の「繊維の基礎知識」のリネン亜麻・ラミー苧麻・ヘンプ大麻麻繊維についての記載に、『苧麻の代表的な欠点』として、『繊維が粗硬なので肌をチクチク刺激する』とあることで、上の沖縄県立図書館の資料写真からは一寸、想像できません。

 そこで今一度、沖縄県立図書館の貴重資料の琉球の染織に関する基礎知識の中の織りの項を見てみると、「桐板」は撚りつぎをして撚りをかけないとあります。で、苧麻は、普通撚りをかけて糸にするようです。したがって、糸に撚りをかけると木綿のようなよじりが見えるはずなのですが、沖縄県立図書館の貴重資料の写真「桐板」には全くと言っていいほど撚りが見られません。撚りのかかった苧麻の繊維写真があれば比較できるのですが今のところ、見つけることが出来ません。

 そこで、とりあえず、これらのことから考えられるのは、

◎中国・福建省から、輸入されていたのは

(1)苧麻は、苧麻でも、特別な苧麻で、撚りを掛ける必要のない苧麻だったのか?

(2)柔らかさを、そのままにするために苧麻にわざと撚りをかけなかったのか?

(3)苧麻だと思われて(言われて)いても苧麻ではない、別な繊維、まさに「桐板」と呼ばれるもの「そのもの」ではなかったのか? 

のいずれかではないか? ということです。

 参考までに、この沖縄県立図書館の貴重資料を幾つか並べてみると、違いがよく分かります。

 まず、こちらでは木綿の繊維の流れが良く分かります。桐板と比較して、撚りがかかっているのが良く見え、硬い感じですね。以下、比較してみましょう。

 木綿・木綿

 桐板・桐板

 苧麻・苧麻

 木綿・木綿

 絹・絹

 絹・

 やはり、桐板は、撚りがかかっていない(よじりがない)。特に最後の「絹・桐板」は絹も桐板も撚りがほとんど見られず、また木綿や苧麻などのような、硬さというか、がさつきが感じられませんね。

 そこで、もう一度、琉球の染織に関する基礎知識をゆっくり読み直してみると、「沖縄の染め 紅型」の「工程」のなかに、『布地は木綿、苧麻、芭蕉、絹、桐板(トンビャン)などが身分、用途によって……』とあります。

 これを、どのように解釈すればよいのか?

 「桐板」というのは苧麻以外の糸なのか、どうなのか?

 1931年に満州事変が起きて以来、972年の日中国交回復まで、戦前、一時的な国交回復はあったとはいえ、それ以前のような交易はなかったでしょう。また、1972年以降についても、福建省との交易によって「桐板」が、また輸入されるようになっているのかどうか?……ネットで文献を探すだけでは、限界があるようですね。

 仮に福建省から輸入されているとして、「桐板」というのは、過去の名称では使われていない、現代では『別な名前』になってるのか? 既に福建省では、日本への輸出が止まって以来、栽培もされなくなっているのか?……ゆえに……幻の糸と言われる?……現地の、輸入業者や組合・織り手さんなどに尋ねないと分からないのかな?……

 以上、取り敢えずここまで……。繊維に関しては、私は全くの素人で、ネットで分かる範囲の資料をあれこれ比べ、想像した限りです。まだまだ、探し切れていないのだと思います。知り合いに尋ねてはみますが、その程度で、これ以上先に進めるかどうか……どうぞ、悪しからずご了解くださいませ。

   *

 以上のメールに対する、私の返信文を次に引用しておく。

   *

 姐さん、本当にありがとう御座います。大変なお手数をお掛けしてしまい、誠に恐縮致しております。

 沖縄県立図書館のデジタル文庫は御指摘戴いた細かな資料まで見ておらず、驚きでした。特に織ったものの拡大写真は「幻」でないトンビャンのリアルな(しかし元は何かは分からない)実像を伝えて、とても感動しました。

 これらの標本のトンビャンとされるものを、それぞれ微量にサンプリングして定量分析をすれば、そのものの元が何なのか恐らくはっきりすることが出来るとは思われますが、どうも姐さんのおっしゃるように、それらは一種類ではなく、中国産苧麻や龍舌蘭かも知れず、全くの未知の別種の何かが元なのかも知れないという気もしてきます。

 そこで思ったのは、特別で複雑な手間と見た目でも原材料が幻的存在であれば(若しくはそう見えるようなものであれば)、それだけ織布の神聖性や高級性は強く保持されますから、これは謂わば、曖昧で幻のままにしておくことがよかったのかも知れないですね……などと考えているうち――定量分析やDNA分析なんぞを夢想していた小生は……これ如何にも無粋という気がしてきました。(後略)

   *

 「からからこ」姐さんには、何度、感謝申し上げても、し切れぬほどに感激している。改めて、この場を借りて深く御礼申し上げるものである。

……今……トンビャンと姐さんが……私を……遙かな美しき琉球織りの歴史の幻影の中に誘ってくれている……]

「聳てば」は普通なら「そばだてば」であるが、如何にも音数律が悪い。「たてば」と訓じているものと思われる。]

 

龍舌蘭(トンビヤン)の花刈るなかれ御墓守

 

笛吹けるおとがひほそき雛かな

 

蛇皮線に夜やり日やりのはだかかな

 

[やぶちゃん注:「夜やり日やり」夜遣日遣。計画や予定など立てずに勝手気まま間に進んでゆく、進行させることをいうと小学館「日本国語大辞典」にある。]

 

龍舌蘭(トンビヤン)の花のそびゆる城址かな

[やぶちゃん注:前田霧人氏の「鳳作の季節」(沖積舎平成一八(二〇〇六)年刊。リンク先はPDFファイルの全文)に、この当時(昭和七(一九三二)年の夏休み明けに移転)いた日の丸旅館について、教え子喜納虹人氏の「雲彦と宮古島」(『傘火』昭和一二(一九三七)年四月号)にある『この旅館は坐して、肺まで徹(とお)る紺の海が見え、数十歩すれば先生が常に愛していた竜舌蘭が生えている岬に行かれた。先生の室は小じんまりした六畳で南向きの机の上には硯箱、本、雑誌、ハサミ、鏡、電気スタンド等其他が雑然として、机の下には何時でも菓子箱が二つ三つころがっていた。押入れには本がつめてあった。夜、この室に居れば、浪の音が聞えかもめが時折なき、夜釣のポッポ船などがひびくだけでひっそりしていた。先生はこの室でこそ颱風の響をきき伝統の不合理に一矢を放ち、蒼穹へ蒼穹へと手をのばして行った。(略)先生はそのかわりよく勉強された。私が行くと何時も机の前で書き物か読書かして居られた。鹿児島新聞に載せた文は切り抜いて、スクラップブックにはってあった。文章を書かれると原稿を見せて『何処が悪いか云って呉れ』と相談された。私も率直に思うままをのべると喜んでおられた』という思い出を引用された後、『この「坐して肺まで徹る紺の海が見える」部屋で、彼の代表作「しんしんと肺碧きまで海のたび」が密かに宿されたのであろうか。また、「竜舌蘭が生えている岬」は旅館から直ぐ北に続いているポー岬で、波打ち際、竜舌蘭、細い道、お墓の列、そして丘の上の家という散歩道になっている』と記しておられ、まさにこれらの句がその光景と一致することが分かる。鳳作の薫陶を受けて俳句や短歌の道に進んだという喜納氏の文章は非常に印象的であるが、哀しいかな、前田氏によれば彼は後に中国大陸で戦死した。

 

龍舌蘭の花に旱のつづきけり

 

   歸省近し

大隈に湧く夏雲ぞ目に戀し

 

[やぶちゃん注:以上七句は七月の発表句。

 なお、この昭和八(一九三二)年七月の『天の川』に鳳作は、「句作自戒」という以下の頗る印象的な文章を発表している(底本からやはり恣意的に正字化して示す。改行もママ)。

   *

 

   句作自戒

一、生の愛しさに徹せよ

  過去三年の句作は小生に生命のか

  なしさを教へてくれました。今後

  共、生の愛しさに徹する事を句作

  の第一義にしたいと思ひます。

一、生活感情の心髓をとらへよ。

  いたづらに新奇な材料を探しまは

  る事なく、力強い生活感情に裏づ

  けられた現象を句にしたい、歌ひ

  あげたいと思ひます。

一、雲彦の出てゐる句をつくれ、

  一句々々をさながらに、血の通つ

  てゐる自己の分身たらしめたいと

  思ひます。

 

   *

 まさに禅の趣きさえ持った自己拘束である。

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