飯田蛇笏 靈芝 昭和五年(四十二句) Ⅰ
昭和五年(四十二句)
年たつや旅笠かけて山の庵
山國の年端月なる竈火かな
[やぶちゃん注:「竈火」は「かまど」と訓じていよう。]
春愁や淨机の花の凭れば濃き
いちじるく岨根のつばき咲き初めぬ
[やぶちゃん注:「岨根」は「そね」で、険しい崖の下。]
紺靑の夜凉の空や百貨店
藥獵や八百重の雲の山蔽ふ
[やぶちゃん注:「薬獵」は「薬猟(くすりが)り」と読むのが正しいが「やくれふ」と音読みしていないという断定は出来ない。中七以下の圧倒的な訓読みから「くすりがり」で字余りである可能性もあるものの、「ヤくれふ」「ヤほへ」「ヤま」の頭韻も捨て難い。薬猟りとは、五月五日に鹿の若角や薬草を摘んだ日本古代の習俗で「日本書紀」推古十九年五月五日の条(西暦六一一年六月二十日相当)に見えるのを初見とする。この日は宇陀野(うだの:現在の奈良県宇陀郡大宇陀町の一帯。)に於いて薬猟が行われている。従った諸臣は髻華(うず:儀式の際に冠に挿す飾物。本邦の古来の頭髪に草花枝葉を挿した習慣が、中国の制に倣って冠の飾りとなったもので、推古帝の頃に定められて身分によって金・豹尾(ひょうのお)・鳥尾(とりのお)が、孝徳帝の時には金・銀・銅が用いられた。これが後に挿頭(かざし:神事や饗宴の際などに冠の巾子(こじ:冠の頂上後部に高く突き出ている部分・)にさす造花の飾り。)に変化した。)をつけた冠や冠色に従った服を着用していてこれが宮廷を上げての公式行事であったことが分かる。翌年には羽田(現在の奈良県高市郡高取町羽内(ほうち)付近)で、天智七(六六八)年には蒲生野(がもうの:現在の滋賀県近江八幡市から八日市市にかけての一帯)で薬猟が行われている(以上「薬猟り」については平凡社「世界大百科事典」に拠る)。]
香水や眼をほそうして古男
五色縷の垂もたれたり肘枕
[やぶちゃん注:「五色縷」「ごしきる」と読み。端午の節供に用いる飾物「薬玉(くすだま)」のこと。元来は中国から伝来した習俗で中国では続命縷(しょくめいる)・長命縷などと称し、五月五日にこれを男児の肘に懸けると邪気を払って悪疫を除き、寿命を伸ばすとして古くから用いられた。日本では当初はショウブとヨモギの葉などを編んで玉のように丸く拵えてこれに五色の糸を貫き、ショウブやヨモギなどの花をも挿し添えて飾りとした(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。]
納涼やつまみてむさき君の櫛
[やぶちゃん注:「むさき」は汚れてきたならしい・むさくるしい、心がきたない・卑しいの謂いであるが(他に酔って正気のないさまをもいう)、ここは妻が摘まんだその櫛が如何にもみすぼらしく、「納涼」でありながら、夏の暑さを倍加させる己れの甲斐性の無さへと照射される古びた櫛へのアップであろうか。]