篠原鳳作句集 昭和九(一九三四)年八月
ひまはり
向日葵の照り澄むもとに山羊生るる
向日葵と蟬のしらべに山羊生れぬ
向日葵の向きかはりゆく靑嶺かな
向日葵の日を奪はんと雲走る
[やぶちゃん注:以上の四句は八月発行の『天の川』及び同月発行の『傘火』掲載の句であるが、実は底本ではこれらの前の七月発行の『天の川』に載る「向日葵は實となり實となり陽は老いぬ」の前書「ひまわり」が、これら四句を含む連作の前書である旨の編者注記が載る。しかし、月違いの発表句の連作、それも「向日葵は實となり……」一句だけを載せて『連作』というのは如何にも解せない。さらに言えば、向日葵連作なら「向日葵は實となり……」の前にある「夕立のみ馳けて向日葵停れる」(更に言わせてもらうならその二句前の「向日葵の照るにもおぢてみごもりぬ」も)「ひまわり」の連作中の句であると言っておかしくない(何と言ってもこれらは総て同じ七月号『天の川』所載句なのである)。これは恐らく、七月号の「向日葵は實となり……」の単独一句の前には「ひまわり」と言う前書があり、そして改めて八月号のこの四句の前にも今度は連作としての前書「ひまわり」があるのであろう。全集として纏める際の手間を省いたものであろうが、如何にも違和感のある仕儀と言わざるを得ない。そこで私のテクストでは改めて「ひまわり」という前書を附させて貰った。[やぶちゃん注:以上の四句は八月発行の『天の川』及び同月発行の『傘火』掲載の句であるが、実は底本ではこれらの前の七月発行の『天の川』に載る「向日葵は實となり實となり陽は老いぬ」の前書「ひまわり」が、これら四句を含む連作の前書である旨の編者注記が載る。しかし、月違いの発表句の連作、それも「向日葵は實となり……」一句だけを載せて『連作』というのは如何にも解せない。さらに言えば、向日葵連作なら「向日葵は實となり……」の前にある「夕立のみ馳けて向日葵停れる」(更に言わせてもらうならその二句前の「向日葵の照るにもおぢてみごもりぬ」も)「ひまわり」の連作中の句であると言っておかしくない(何と言ってもこれらは総て同じ七月号『天の川』所載句なのである)。これは恐らく、七月号の「向日葵は實となり……」の単独一句の前には「ひまわり」と言う前書があり、そして改めて八月号のこの四句の前にも今度は連作としての前書「ひまわり」があるのであろう。全集として纏める際の手間を省いたものであろうが、如何にも違和感のある仕儀と言わざるを得ない。そこで私のテクストでは改めて「ひまわり」という前書を附させて貰った。
なお、これらの「向日葵」連作は鳳作にとってエポック・メーキングなものとなった。前田霧人氏の「鳳作の季節」によれば、『天の川』の編集責任者であった北垣一柿が『天の川』八月号の「軽巡邏船(一)」でこの第一句を「雲彦時代―断じて夢ではなさそうである。」と絶賛、『むき[やぶちゃん注:太字は引用元では傍点「ヽ」。]になってしかも句としてのこの静謐、用語、音律、共にきわだった特異性を有しない。此処が私にとっては尚更うれしいのである』と述べ、『次いで、波郷が「俳句研究」十月号の「『天の川』に与う」で、これら一連の向日葵の句を取り上げ、一柿の評に共感を示すと共に、「晦渋ならざる天の川作家とは雲彦[やぶちゃん注:太字は引用元では傍点「・」。]氏の如きをいうのである。」と評価する。「馬酔木」、「天の川」が甘美・晦渋論争で応酬している間も、若い波郷と雲彦はこうしてお互いを認め合う。雲彦の作品が「傘火」、「天の川」以外から評価を受けるのは恐らくこれが初めてであり、しかも、それが総合誌「俳句研究」
に掲載されたのである。彼の名が全国に知られるようになる端緒であった』と記しておられる。]]
山路
草苺あかきをみればはは戀し
[やぶちゃん注:「草苺」バラ目バラ科バラ亜科 Rubeae
連キイチゴ属 Rubus subg. Idaeobatus 亜属クサイチゴ
Rubus hirsutus 。グーグル画像検索「Rubus
hirsutus」。私も懐かしい……白い花の甘い小さな赤いつぶつぶの実……裏山でよく採って食べたね、母さん……]
一碧の水平線へ籐寢椅子
[やぶちゃん注:以上、六句は八月の発表句。]
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