萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「午後」(3)
かなた日はてるてる海の靑たゝみ
八疊ひける室(へや)に晝睡(ひるい)す
[やぶちゃん注:「ひける」はママ。校訂本文は「しける」と訂する。]
八月や日向葵(ひぐるま)さきぬさかんなる
花は伏屋(ふせや)の軒をめぐりて
[やぶちゃん注:「日向葵」はママ。「伏屋」は屋根の低い小さい家、みすぼらしい家。]
朝靄の中をわれ行く君に寄り
ぱいぷくわへて今日もきのふも
[やぶちゃん注:「くわえて」はママ。]
ぶらじるの海の色にもよく似ると
君の愛でこしオツパアスかな
[やぶちゃん注:「オツパアス」新発見の明治四二(一九〇九)年九月一日消印萩原栄次宛葉書に載る同年二月から五月までに作歌したとする「かゝる日に」歌群の中に、
ぶらじるの海の色にもよく似ると。君の愛(め)でこし靑玉(オツパース)かな
という相同歌が載る。ところが、ここに記された「靑玉」という漢語は「サファイア」のことを指す。しかし英語の文字列“Sapphire”や発音は、どう考えても「オツパアス」又は「オツパース」とは読めない。これに近いのは同じ宝石の「黄玉」、則ち、「トパーズ」、“topaz”しかない。ただこれを誤用と指弾出来るかと言うと、実はトパーズにはブルー・トパーズという青色のものがあるから、これ、一概にトンデモ誤用とは言えない気がするのである。取り敢えず注はしておくこととしたい。]
止めたまへかゝる譬(たとへ)は方便歌
説く口振りに似てあさましゝ
理想など高き聲にて言ひし故
あまたの人にうとまれしかな
指たてゝ驚かす如き眼付する
女をさへも三月戀しぬ
日ぐらしの唱などきゝて居り給ふ
ぱいぷに火をばつくるあひだも
目覺ましの自鳴機(オルゴル)の鳴る音をきゝ
ところも知らぬ、支那の街ゆく
自働車の馳せ行くあとを見送りて
涙ながしき故しらぬなり
常盤津の復習(さらへ)もよほす貸席の
軒提灯の下に別れぬ
[やぶちゃん注:「常盤津」はママ。正しくは「常磐津」。]
芝居見て河添ひかへる夜などは
よくよく人の戀しかりけり
[やぶちゃん注:「川添ひ」はママ。ここはどうみても正しくは「河沿ひ」であろうが、珍しく底本は誤字指示がなく、そのまま校訂本文も採っている。]
大坂の夜は美くし
思ひ出は道頓堀の細小路
小間物店の花瓦斯のいろ
[やぶちゃん注:「美くし」はママ。「道頓堀」は原本では「道紺堀」であるが、誤字と断じて「道頓堀」とした。校訂本文も同じく訂する。
この一首の次行に、前の「花瓦斯のいろ」の「斯」位置から下方に向って、最後に以前に示した特殊なバーが配されて、この無題の「午後」冒頭歌群の終了を示している。]
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