杉田久女句集 126 唐黍を燒く間待つ子等文戀へり
唐黍を燒く間待つ子等文戀へり
[やぶちゃん注:私が莫迦なのか、下五の意が今一つ、分からない。句柄から「文」を恋うているのは子等であるが、その相手は今ここにいない父か、実家の親族の久女方の祖母か? 「子等」とあり、「唐黍を燒く」で季語は秋だから、久女方の祖父は考えにくい(次女光子は大正五(一九一六)年生まれであるが、久女の祖父廉蔵は大正七年七月に脳溢血で死去している。四歳の昌子はいいとして、未だ一歳の光子は「唐黍を燒く間待つ子等」「文戀」う「子等」には含まれ得ないからである)。そうすると、これはもう少し後年、大正九年八月に信州松本に父の骨を納骨に行った際(恐らく二人の子を連れて)、腎臓病を発症、東京上野の実家へ戻って入院加療に入り、そのまま実家にて療養に入った(この時、当然の如く、専ら久女側からの意志で離婚問題が生じたことが年譜に記されてある)。この時の夫宇内との別居は約一年の及んでいる(小倉への帰還は大正十年七月)。この句はその病み上がりの大正九年秋の句かも知れない。父と離れて数ヶ月、昌子九歳・光子四歳、「唐黍を燒く間待つ子等」が父の「文戀」う「子等」であって不思議ではない。]
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