篠原鳳作句集 昭和一〇(一九三五)年一月
昭和一〇(一九三五)年
靑空に觸れて
紺靑の空に觸れゐて日向ぼこ
紺靑の空に觸れゐて日南ぼこ
手に足に靑空染むと日向ぼこ
手に足に靑空染(シ)むと日南ぼこ
[やぶちゃん注:以上四句は、それぞれ前の句が一月発行の『天の川』の、後の句が同じく一月発行の『俳句研究』の句形である。]
莨持つ指の冬陽をたのしめり
園のもの黄ばむと莨輪に吹ける
[やぶちゃん注:「園のもの」は者で園丁が苑の草花が冬に向かって「黄ば」んだ、と物謂いして「莨」を「輪に吹」いているのであろうか? そうではあるまい。「園の」物、その草花はすっかり季節の中で「黄ば」んでしまったという感懐の中、当の詩人がその景の中に立って「莨」を「輪に吹」いているのか? はたまた、「莨」の煙をそのまま吐いては「園の」美しい草木がヤニで「黄ば」んでしまうから、と、当の詩人は「莨」の煙を敢えて空高く「輪に吹」き上げているのであろうか? しかし、とするならば「黄ばむと」の引用の格助詞「と」は如何にもな客体表現でおかしいではないか? いやいや、これは園を独りで歩いているのではあるまい、詩人は恋人連れなのだ(次の注も参照のこと)、そして「園の草木が黄ばんじゃうといけない」と独り言ともつかぬ気障な台詞を吐いて、高々と「莨」の煙を空高く「輪に吹」き上げているんじゃないか?……いやはや……少なくとも私には意味がとれぬ句ではある。識者の御教授を乞いたい。]
新刊と秋の空ありたばこ吹く
秋の陽に心底(シンソコ)醉へりパイプ手に
幻想
雪の夜はピヤノ鳴りいづおのづから
雪あかり昏れゆくピヤノ彈き澄める
[やぶちゃん注:以上、八句は一月の発表句。底本では頭の「日向ぼこ」二句の後(「日南ぼこ」とする二句のヴァリエーションは底本では補注として句集の後に配されてある)句群の後に「一碧の空に横たふ日南ぼこ」の句を配している。これはこれらの句と同字創作であるとしてここに置いたのであろう(事実、その可能性はすこぶる高いであろう)が、この「一碧の空に横たふ日南ぼこ」の句は二ヶ月後の三月発行の『俳句研究』掲載句である。私はあくまで編年を守るためにそちらに移した。
因みに鳳作は、この昭和一〇(一九三五)年一月二十二日に鹿児島銀行頭取前田兼宝四女秀子と結婚、鹿児島市上之園町(うえのそのちょう)三十八番地に新居を構えた(前田兼宝という名は大正一三(一九二四)年五月に投票された第十五回衆議院議員総選挙の鹿児島県三区で当選した議員と同姓同名である。同一人物であろう)。]