桃の花 山之口貘
桃の花
いなかはどこだと
おともだちからきかれて
ミミコは返事にこまったと言うのだ
こまることなどないじゃないか
沖縄じゃないかと言うと
沖縄はパパのいなかで
茨城がママのいなかで
ミミコは東京でみんなまちまちと言うのだ
それでなんと答えたのだときくと
パパは沖縄で
ママは茨城で
ミミコは東京と答えたのだと言うと
一ぷくつけて
ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた
[やぶちゃん注:【2014年6月27日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により、注を一部追加した。】初出は昭和三八(一九六三)年二月二十一日号『家庭通販』(同誌と同名の信販会社の詳細は不明である)。思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の松下博文氏の解題によれば、『同面に岡田譲のエッセイ「桃の節句」を掲載。「桃の花」も企画のひとつとして掲載されたか』という非常に興味深い推理が記されてある。則ち、この詩は桃の節句に合わせてと所望された一種の題詠のような、バクさんの詩の中では超例外的な一篇である可能性があるということである。新全集は清書原稿によるが異同はない。
「ミミコ」はバクさんの長女山口泉さん(昭和一九(一九四四)年生まれ)の愛称で、しばしば詩に登場するのだが、実は今日の今日まで何故「ミミコ」なのかに疑問を持ったことがなかった。後掲される詩「ミミコ」によれば、これは「隣り近所」の子供たち(?/私の推定)が「泉(いずみ)」という「子」を持たない女子名が当時はやや奇異で(?/これも私の推定)、「いずみ」という発音がやや面倒臭かったものか(?/これも私の推定)、「この子のことを呼んで」初めは「いずみこちゃん」だったものが、「いみこちやん」「いみちゃんだのと来てしまって」しまいには「泉にその名を問えばその泉が」「すまし顔して」「ミミコと答える」ようになってしまったとあるから、これは周囲の子らと泉さん本人が選び取った綽名であるらしい。実に面白い。
本詩は前後に故郷沖繩への帰省時の感懐を詠んだ詩があることと、会話から詩中の泉さんは小学生(昭和三四(一九五九)年十二月発行の『随筆サンケイ』掲載の「娘の転校」によれば、ミミコさんは私立大学の付属小学校に通っておられたことが分かる)であるが、初出時にはミミコさんは既に十四歳(彼女は三月生まれ)になっており、以上からこの詩は有意な回想詩であることが分かる(先に示した通り、詩集刊行時に泉さんは二十歳であった)。彼女の口振りからは小学校中高学年で、昭和二十年代の終わりに相当する感じであり、バクさんの推敲が実に数年に及ぶものであることがまたここで知れるのである。]
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