橋本多佳子句集「信濃」 信濃抄二 (Ⅰ)
信濃抄二
霧降れば霧に爐を焚きいのち護る
霧の中おのが身細き吾亦紅
[やぶちゃん注:「吾亦紅」バラ目バラ科バラ亜科ワレモコウ
Sanguisorba officinalis。ウィキの「ワレモコウ」によれば、『草地に生える多年生草本。地下茎は太くて短い。根出葉は長い柄があり、羽状複葉、小葉は細長い楕円形、細かい鋸歯がある。秋に茎を伸ばし、その先に穂状の可憐な花をつける。穂は短く楕円形につまり、暗紅色に色づく』。『「ワレモコウ」の漢字表記には吾亦紅の他に我吾紅、吾木香、我毛紅などがある。このようになったのは諸説があるが、一説によると、「われもこうありたい」とはかない思いをこめて名づけられたという。また、命名するときに、赤黒いこの花はなに色だろうか、と論議があり、その時みなそれぞれに茶色、こげ茶、紫などと言い張った。そのとき、選者に、どこからか「いや、私は断じて紅ですよ」と言うのが聞こえた。選者は「花が自分で言っているのだから間違いない、われも紅とする」で「我亦紅」となったという説もある』。当否は別としてこれ、命名説としては素敵に神がかっていて面白い。『別名に酸赭、山棗参、黄瓜香、豬人參、血箭草、馬軟棗、山紅棗根などがある』。また、根は地楡(ちゆ:中国語。ディーユー dìyú)『という生薬でタンニンやサポニン多くを含み、天日乾燥すれば収斂薬になり止血や火傷、湿疹の治療に用いられる。漢方では清肺湯(せいはいとう)、槐角丸(かいかくがん)などに配合されている』ともある。]
花賣りの擬宝珠ばかり信濃をとめ
十六夜わが寢る刻(とき)を草に照る
ひと去りしいなづまの夜ぞ母子の夜
しづめたる食器泉の邊に讀める
[やぶちゃん注:堀内薫のすこぶる抒情的な底本年譜によれば、十月までいた野尻湖畔の「神山山荘八七番」は、『松や白樺の林間にあって野尻湖を見下ろす位置にあ』り、氷室があり、近くには「海燕」の装幀を手掛けた『富本憲吉一家の借りている89番の山荘があり、両家は日々交遊、娘たちはボートに乗せてもらった。九月になると、どの山荘も釘付けとなり、娘たちは学校へ行くために帰り、多佳子と国子』(当時二十歳の次女)『だけが淋しい山中に取り残され』、『きつつきが木を叩く、とみるみる湖から霧が湧き起こり、二人を閉じこめる』とある。]