『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 名島
●名島
森戸の西、海中十二間許にあり、廣二三町、賴朝遊覽の舊跡といふ、島中に井戸あり。里俗菜島(なしま)に作る、又七島(なしま)とも、七島はむかし七ツの島あり、故に七島といふ、後ち巨浪(きよらう)に洗はれて、一島を存すと。
[やぶちゃん注:現在は地図上では「菜島」と明記されている。
「十二間」二一・八メートル。現在、名島の岩礁として地図上に指示されてある海岸部分と森戸の鼻との距離は有に二六〇メートルはある。古くは陸繋島であったと思われ、また関東大震災や海食の影響もあろう(但し、同震災では隆起した箇所が多いはずである)が、この「十二間」というのはおかしい。「新編鎌倉志卷之七」には、
名島(なじま) 杜戸(もりど)の西の海濵、六町ばかりにあり。賴朝、遊興の所なりと云傳ふ。賴朝の腰掛石とてあり。賴朝卿杜戸へ遊興の事、【東鑑】に往々見へたり。
とある。「六町」は六五四・五メートルであるからかなり今度は長くなるが、起点位置を「杜戸の西の海濵」に於いて徒歩で干潮時の岩礁帯を歩くとすれば五〇〇メートル以上の距離感はあると思われれるのでしっくりくる。「新編鎌倉志卷之七」の「杜戸圖」も参照されたい。
「二三町」一・九八~二・九八平方キロメートル。]