篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年十一月
颱風に倒れし芭蕉海にやる
颱風や守宮のまなこ澄める夜を
颱風や守宮は常に壁守り
颱風や守宮は常の壁を守り
[やぶちゃん注:前句は十月発行の『傘火』掲載句、後者は翌昭和九(一九三四)年一月発行の『天の川』掲載の句形であるが、前者の掲載誌とクレジットは頗る不審である。その前の「颱風や守宮のまなこ澄める夜を」という句は、同じ『傘火』の昭和八年十一月発行分に載ることが明記されている。何故、この十月の二句をその後に配したのか意味が分からないからである。私はこの二句はクレジットの誤りで十一月発表句ではないかと疑っており、そう断じてこのままここに十一発表句として示すこととする。なお、十月の「地下室の窓のみ灯る颱風かな」が『傘火』最初の掲載句である。『傘火』は『天の川』同人であった勝目楓溪・浜田泊鷗らが創刊した同人誌で、鳳作はこの昭和八年九月に参加し、これによって俳壇で注目されるようになる(年譜の記載)。この『傘火』の『雑誌欄「火の柱」選者に横山白虹を迎え』、後の『昭和十一年一月より「生活高唱」欄を新設、西東三鬼がその選に当たり、これが、戦後、社会性俳句の第一歩といわれる』ようになるとある。六月に開眼の句「炎帝につかえてメロン作りかな」を発表、謂わば、俳人篠原鳳作にとって最初の恵み多き年であったといってよい。鳳作、未だ満二十七歳であった。]
山羊が鳴く颱風(アラシ)の跡に佇ちにけり
宮古中學より夏休歸郷
熊ん蜂夏期大學の窓に入る
[やぶちゃん注:八月の帰省時に参加したどこかの「夏期大學」講座であろうが、年譜上での記載はないので不詳。八月十五日に『福岡市の禅寺洞居、銀漢亭』に吉岡禅寺洞『を訪ね歓迎句会に出席、午後宮島に向かう』とあるのが、ややそれらしい感じはする。]
鳶の笛夏期大學の正午を告ぐ
歸省子に年々ちさき母のあり
つれだてる老母の小さき歸省かな
[やぶちゃん注:改稿の「颱風や守宮は常の壁を守り」一句を除き、ここまでの八句は十一月の発表及び当該時期に配されたもの。]
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