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2014/03/14

篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年十月



飛魚や右手にすぎゆく珊瑚島

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「右手」は「めて」で、「珊瑚島」は字書見出しとしては「さんごとう」である。音からして「じま」より「とう」であろう。]

 

飛魚の翔(か)けり翔けるや潮たのし

 

飛魚の我船波のあるばかり

 

飛魚をながめあかざる涼みかな

 

飛魚のついついとべる行手かな

 

飛魚や船に追はれて遠翔けり

 

煙よけの眼鏡ゆゆしや鰹(かつを)焚き

 

鰹鳥魚紋(うず)なす波に下りもする

 

[やぶちゃん注:種としてはペリカン目カツオドリ科カツオドリ Sula leucogaster・同亜種カツオドリ Sula leucogaster plotus・及び同亜種シロガシラカツオドリ Sula leucogaster brewsteri などを指す。ウィキの「カツオドリ」によれば、『熱帯や亜熱帯の海洋に生息』し、全長六四~七四、翼開張一三〇~一五〇センチメートル、体重は約一キログラムで『全身は黒い褐色の羽毛で被われる。腹部や尾羽基部下面(下尾筒)は白い羽毛で被われる。種小名 leucogaster は「白い腹の」の意。翼の色彩も黒褐色だが、人間でいう手首(翼角)より内側の下中雨覆や下大雨覆は白い』。『嘴や後肢の色彩は淡黄色』で『オスは眼の周囲にある露出した皮膚が黄緑色。メスは眼の周囲にある露出した皮膚が黄色。幼鳥や若鳥は腹部や下尾筒に黒褐色の斑紋が入る』とある。但し、『カツオなどの大型魚類に追われて海面付近に上がってきた小魚を狙い集まる事から、漁師からカツオなどの魚群を知らせる鳥とみなされた事が由来。しかし大型魚類に追われた小魚目当てに集まる(魚群を知らせる)のは本種やカツオドリ科の構成種に限らず、本種の和名も元々は魚群を知らせる鳥類の総称だった』ともあり、ここでも漁師や水夫が「カツオドリ」と呼称していると考えるならば、そもそもがカツオドリ Sula leucogaster に限定する必要はないかも知れない。

「魚紋」は通常「ぎよもん(ぎょもん)」と読み、魚の動きによって水面に出来る波の模様のことを指す。ここはそうした現象が「渦」となって見えることから「うず」と当てたものか。若しくは「鱗」の「うろくず」(魚などの鱗の意から転じて魚そのものを指す。いろくず。)の省略形か。但し、「渦」「鱗」も孰れにしても歴史的仮名遣では「うづ」でなくてはならぬので不審ではある。識者の御教授を乞うものである。]

 

地下室の窓のみ灯る颱風かな

 

颱風をよろこぶ子等と籠りゐる

 

秋燕を掌に拾ひ來ぬ蜑が子は

 

[やぶちゃん注:「秋燕」は「しうえん(しゅうえん)で歳時記では「去ぬ燕」「巣を去る燕」「帰燕」「残る燕」などとともに――本土ににあっては――春に渡って来た燕が夏の間に雛を孵し、秋九月頃群れをなして南方へと帰ってゆく――空っぽの巣に淋しさが残る――なんどとまことしやかに書かれている――が――ここはその燕が帰ってくる南国の景である――しかも「蜑が子」が「掌に」「拾ひ來」た「秋燕」は――遂に最後に力尽きた一羽ででもあったか――ここには南国の陽射しとともに歳時記の陳腐な常套的記載とは全く異なった反転した世界がリアルに詠まれているのである。季語なんする者ぞ!

 以上十一句は十月の発表及び創作パートに配されてある。]

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