座談 山之口貘
座 談
1
ある晩
否え每晩
その娘が
むかふにゐる男を好いてゐさうな目つきをするので
私はうすぼんやりしてゐるのです
2
むかふの男は俳優ださうです
こちらの私は詩人ださうです
どちらが娘を愛してゐるか
詩人の私であるといふより外はないのです
俳優は長居してゐるのでみつともないのです
考へてみると詩人も長居してゐるのです
どちらが娘を愛し得るかといふことになつたら
私は馳け出して
娘の首すぢを摑んでひつたぐるつもりでゐるのです
3
娘は左の目蓋に小さなイボがある
お湯の歸りに ふとそのイボに指をふれてみたら血が出てゐたと娘は言ふ
それは戀の話である
戀の話はいろいろある
あゝこの娘よ
もしも私の女房になるならば
奧さんではなくておかみさんになるんだらうが
それは女房になつてみれば直ぐにわかるのである
馴れてしまふのである
4
きのふの話によると
娘には許婚者があるんださうです
それが私でないところを見れば
あの俳優がさうなんだらうか
ぼんやりしてゐるうちに
私の顎下を
夜はなんどもなんども流れてゐたやうです
5
膝のうへには汚れた履歷書がある
邦子といふのがその娘である
邦子は喫茶店の女給だつたのである
その前の
光子は小學校の敎師だつたのである
その前の
妙子も小學校の敎師だつたのである
だつたのであるが
だつたことばかりが私の眼には浮んでゐる。
[やぶちゃん注:【2014年6月25日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。この注を一部追加した。】初出は昭和一〇(一九三五)年五月倍大号『羅曼』に総標題「動物園」で後に出る「動物園」・「春愁」・本詩の三篇が掲載された。思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題に、発行所は東京市豊島区長崎南の現代詩研究所、編集者が伊福部隆輝、印刷者は村上信助とあり、これは恐らく同年に「羅曼叢書」を出している村上信義堂ではあるまいか。同叢書中には微妙に姓名が異なるが、伊福吉部隆著「日本詩歌音韻律論」という本も見出せる。思潮社一九七六年四月刊「山之口貘全集 第一巻 全詩集」では、アラビア数字は総てが、1・2・3・4・5 と、斜体になっており、それらは、総て行頭に配されてあるので、原書房刊「定本 山之口貘詩集」では、そうなっているということを意味するようだ。
また、原書房刊「定本 山之口貘詩集」では、「1」の二行目が、
いいえ每晩
になっており、さらに、「4」の途中にある一行空きがなくなって、
4
きのふの話によると
娘には許婚者があるんださうです
それが私でないところを見れば
あの俳優がさうなんだらうか
ぼんやりしてゐるうちに
私の顎下を
夜はなんどもなんども流れてゐたやうです
となっている、とする。
【二〇二四年十月三十一日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。]