篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年五月
笹鳴きやけふ故里にある思ひ
受驗生かなしき莨おぼえけり
[やぶちゃん注:この「受驗生」は鳳作の勤めた旧制中学から旧制高校を受験する生徒であろうが、それでも旧制中学校は五年制で問題なく進んでも卒業時満十七歳で無論、違法な光景ではある(但し、今も喫煙する私は高校時代に既に煙草を吸っていたからこの情景はまことにリアルである)。因みに喫煙の本邦での規制は、ウィキの「日本の喫煙」によれば、明治初期、『養生雑誌』(養健舎明治一三(一八八〇)年創刊)が煙草の害を外国文献の抄訳形式により掲載、明治一四(一八八一)年出版になる「内科要略」には、「慢性尼古質涅(ニコチネ)中毒」(ニコチン依存症)と慢性動脈内膜炎の関係に言及、喫煙を粥状動脈硬化の危険因子と見做す記載があるという。このように喫煙の有害性が一般に認められていた明治二二(一八八九)年には東京文理科大学初代学長三宅米吉が喫煙と健康について警告した論文「學校生徒ノ喫煙」を執筆、年少者にも及んでいた喫煙問題を受けて明治二七(一八九四)年に小学校での喫煙禁止の訓令「小学校ニ於ケル体育及衛生」(文部省訓令第六号)が発せされ、続いて明治三三(一九〇〇)年、未成年者の全面的禁煙を成文化した「未成年者喫煙禁止法」が、健全なる青少年の育成を目的として施行された。本法発布の背景には富国強兵策があって、『幼年者が喫煙で肺を悪くして徴兵できなくなることが憂慮されていた』ことが主たる理由であるとする。この「未成年者喫煙禁止法」は現在も改正を経て継続的に実施されている。日本の成人年齢は明治九(一八七六)年以来一貫して満二十歳であるが、『年齢に言及せず「未成年者」の文言だけであった同法に』、「満二十年ニ至ラサル者」の文言が加えられたのは昭和二二(一九四七)年の改正であった、とある。]
行人を戀ふることあり受驗生
大空の春さりにけり椰子の花
浜木綿に日がなこぼれて椰子の花
[やぶちゃん注:椰子の花をご存じない向きのために、グーグル画像検索「椰子の花」をリンクしておく。]
椰子の花こぼるる土に伏し祈る
琉球のいらかは赤し椰子の花
[やぶちゃん注:以上七句は五月発表句及び当該時期のパートに配されたもの。]