無題 山之口貘
無 題
むろん理由はあるにはあつたがそれはとにかくとして
人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕は溫しく嫌はれてやるのである
嫌はれてやりながらもいくぶんははづかしいので
つい、 僕は生きようかと思ひ立つたのである
煖房屋になつたのである
萬力臺がある鐵管がある
吹鼓もあるチェントンもあるネヂ切り機械もある
重量ばかりの重なり合つた仕事場である
いよいよ僕は生きるのであらうか!
鐵管をかつぐと僕のなかにはぷちぷち鳴る背骨がある
力を絞ると淚が出るのである
ヴイバーで鐵管にネヂを切るからであらうか
僕の心理のなかには慣性の法則がひそんでゐるかのやうに
なにもかもにネヂを切つてやりたくなるのである
目につく物はなんでも一度はかついでみたくなるのである
ついに僕は、僕の體重までもかついでしまつたのであらうか
夜を摑んで引つ張り寄せたいのである
そのねむりのなかへ體重を放り出したいのである。
[やぶちゃん注:【2014年6月24日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により、注を全面改稿した。】初出は昭和一〇(一九三五)年一月発行の『日本詩』。総標題を「天」として後の「天」・「教會の處女」・「生活の柄」・「妹へおくる手紙」・本詩の順で五篇を掲載している。
「煖房屋になつたのである」前に注したが、バクさん満二十六歳の昭和四(一九二九)年前後から翌昭和五年にかけては、前掲の「ぼくの半生記」によれば、暖房器具の配管工事の助手など、各種の仕事を転々としていた。これから推定するに、やはり「妹へおくる手紙」や本詩の作品内時制は発表時よりも五年以上遡ると考えてよいと思われる。
「吹鼓」鞴(ふいご)。以下の校異参照。
「チェントン」土木用語。英語の“Chain Tongs”から。棒の先にチェーンがついた道具で管にチェーンを巻き付けて回す。「チェーン・レンチ」「チェーン・トング」「鎖パイプレンチ」とも呼ぶ(英語の“Chain Pipe Wrench”“Chain Tongs”由来)。主に太いパイプの締付やボーリングのロッドの接合等に使用するレンチ(ウィキの「チェーンレンチ」などを参照した)。
「ヴイバー」“driver”(ドライバー)のことであろう。
原書房刊「定本 山之口貘詩集」では二箇所の読点を除去して字空けとし、二行目が、
人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕はおとなしく嫌はれてやるのである
に、七行目に、
鞴(ふいご)もある チェントンもある ネヂ切り機械もある
とルビが振られた上、字空けが施され、十行目が、
鐵管をかつぐと僕のなかにはぷちぷち鳴る脊骨がある
と「背」が「脊」に変えられ、十四行目が、
なにもかにもネヂを切つてやりたくなるのである
と大きな変更が加えられ、十六行目が、
つひに僕は 僕の體重までもかついでしまつたのであらうか
と「ついに」を訂してある。
【二〇二四年十月二十七日追記・改稿】国立国会図書館デジタルコレクションの山之口貘「詩集 思辨の苑」(昭一三(一九三八)年八月一日むらさき出版部刊・初版)を用いて(当該部はここから)、正規表現に訂正した。]