橋本多佳子句集「信濃」 信濃抄一 (Ⅰ)
句集「信濃」
(昭和二二(一九四七)年七月五日臼井書房刊。昭和十六(一九四一)年から同二十一年(多佳子四十二歳~四十七歳)までの作品二百五十七句を収録する。戦前・戦中作が殆んどであるから恣意的に正字化した)
昭和十六年
信濃抄一
[やぶちゃん注:処女句集「海燕」の刊行から四ヶ月後の昭和一六(一九四一)年五月に多佳子は別荘(年譜には『家』とある)を探しに、次女国子と信州野尻湖へ行くとあり、当該箇所に『作品「信濃抄一」』と附す。]
雪山に野を界(かぎ)られて西行忌
[やぶちゃん注:「西行忌」西行は建久元(一一九〇)年二月十六日に享年七十三歳で没した。但し、広く「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」の詠歌に従い、西行が臨んだ前日の釋迦入滅の同日二月十五日を忌日とする傾向が強いから、これも十五日であろうか(私はこの習慣を頗るおかしいと思っている。西行も後世のそのような風習を決して望んでいないと私は思う)。なお、旧暦だと昭和一六(一九四一)年の二月十六日は三月十三日(木曜)に相当する。]
翁草野の枯色はしりぞかず
[やぶちゃん注:「翁草」キンポウゲ目キンポウゲ科オキナグサ
Pulsatilla cernua。ウィキの「オキナグサ」によれば(アラビア数字を漢数字に換え、記号の一部を変更した)、『根出葉は二回羽状複葉で、長い柄をもち束生する。小葉はさらに深裂する。茎につく葉は三枚が輪生し、無柄で基部が合着し、線状の裂片に分裂する。葉や花茎など全体的に白い長い毛におおわれる。花茎の高さは、花期の頃十センチメートルくらい、花後の種子が付いた白い綿毛がつく頃は三〇~四〇センチメートルになる。花期は四~五月で、暗赤紫色の花を花茎の先端に一個つける。開花の頃はうつむいて咲くが、後に上向きに変化する。花弁にみえるのは萼片で六枚あり、長さ二~二・五センチメートルになり、外側は白い毛でおおわれる』。『白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。
ネコグサという異称もある』。『日本では、本州、四国、九州に分布し、山地の日当たりのよい草原や河川の堤防などに生育する。アジアでは、朝鮮、中国の暖帯から温帯に分布する』。『かつて多く自生していた草地は、農業に関わる手入れにより維持されていた面があり、草刈などの維持管理がなされくなり荒廃したこと、開発が進んだこと、それに山野草としての栽培を目的とした採取により、各地で激減している』。本種は『全草にプロトアネモニン・ラナンクリンなどを含む有毒植物』で、『植物体から分泌される汁液に触れれば皮膚炎を引き起こすこともあり、誤食して中毒すれば腹痛・嘔吐・血便のほか痙攣・心停止(プロトアネモニンは心臓毒)に至る可能性もある。漢方においては根を乾燥させたものが白頭翁と呼ばれ、下痢・閉経などに用いられる』とある。]
曉けて來るくらさ愉しく燕となる
雪白きしなのの山山燕來る
櫻散るしなのの人の野墓よき
南風(みなみ)吹く湖(うみ)のさびしさ身に一と日
[やぶちゃん注:「湖」野尻湖であろう。この翌六月には、一家で野尻湖畔の「神山山荘八七番」に行き、十月まで滞在すると年譜にある。]
子を負へる子のみしなのの梨すもも
[やぶちゃん注:その韻律の可憐にして哀感に富んだ佳句である。]
野の藤はひくきより垂り吾に垂る
野の愁ここだの藤を身に垂らし
[やぶちゃん注:「ここだ」幾許(ここだ)。副詞。万葉以来の古語で数量の多いさまをいう。こんなにも沢山・こうも甚だしくの謂い。また、程度の甚だしいさまをも示し、大変に・大層の謂いもある。両義を持たせてよかろう。]
五月野の雲の速きをひと寂しむ
辛夷に立ち冥き湖にも心牽かれ
愁なき瞳に落葉松(からまつ)の靑つきず
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