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« 春   八木重吉 | トップページ | 杉田久女句集 143 水焚や入江眺めの夕時雨 »

2014/03/26

日和   山之口貘 / 「山之口貘詩集」了

 

   日 和

 

とうさんの商賣はなんだときくと

ひつぱつてゆくんだと彼女は云つた

おまはりさんなのかと思つてゐると

ひつぱつてゆくんだがうちのとうさんは人夫ではないよと彼女は云つた

ひつぱつてゆくんだが人夫ではない

おまはりさんでもなかつたのか

いつたいなんの商賣なんだときくと

人夫を多勢ひつぱつてゆくんだと云ふ

けれども彼女のとうさんは線路の傍に立つてゐて

人夫達のするしごとを

見てゐるだけだと彼女は云つた

人夫のかんとくさんだらうと云ふと

身悶えしながら彼女は云つた

おまへもうちのとうさんに

職を見つけてもらへと云つた

だまつてゐると

話をしろと云ひ

話をするとする話をもぎとつて

すぐに彼女は挑むで來る

どうせ職ならいつでもほしくなるやうにと僕のおなかはいつでもすゐてゐるのだが

男みたいな女を

こひびとなんかにしてしまつたこのことばかりは生れてはじめてのこと

おまへとはなんだいと呶鳴つてやれば

おまへのことだよなんだいと云ひ

女のくせになんだいと呶鳴つたら

るんぺんのくせになんだいと來た。 

 

[やぶちゃん注:【2014年6月26日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部追加した。】初出は昭和一四(一九三九)年四月特大号『新潮』。次の「あとがき」でお分かりの通り、この詩がこの「山之口貘詩集」の中で追加された新作の中で、最古(最も前に創作された)の詩である。発表時、バクさん三十六歳。この二ヶ月後の六月に生まれて初めてのそしてたった一度の定職としての東京府職業安定所に勤めることとなる。但し、ここに現われる女性は内容からして当時の妻の静江さんではない(静江さんの父は小学校校長)。従ってこのシークエンスは昭和一二(一九三七)年十二月の結婚よりも遙か前の時制であるので注意されたい。

 原書房昭和三三(一九五八)年刊の「定本山之口貘詩集」では最後の句点が除去され、十九行目が、

 

すぐに彼女は挑んで來る 

 

となり、また二十行目が、

 

どうせ職ならいつでもほしくなるやうにと僕のおなかはいつでもすいてゐるのだが 

 

と訂されてある。

【二〇二四年十一月六日追記・改稿】このバクさんの第二詩集「山之口貘詩集」(昭和一五(一九四〇)年十二月山雅房刊。処女詩集「思辨の苑」の全詩篇五十九篇と、同詩集刊行後に創作した詩十二篇を追加したもの)の新作分を、国立国会図書館デジタルコレクションの原本(左のリンクは表紙。扉の標題ページ。次を開くと、著者近影がある。目次はここからで、最後に『自二五八三至二六〇〇』とある。なお、バクさんの詩集内の配列は「思辨の花」と同じで、最新のものから古いものへの降順配置である。これには、バクさんらしい新しい詩をこそ自分としては読んで貰いたいという詩人の矜持というか、光栄が感じられる。目次の後の標題はここで、奥附はここ)で校訂した。当該部はここから。

 

 

 あとがき 

 

 この詩集の初版本は、昭和十五年(一九四〇)の十二月に、山雅房から出した「山之口貘詩集」である。

 ぼくは、昭和十三年(一九三八)の八月に、むらさき出版部から「思弁の苑」を出してゐるので、「山之口貘詩集」は第二詩集なのであるが、このなかには「思弁の苑」がそつくり含れてゐるのである。

 「思弁の苑」にをさめた詩篇は、大正十二年(一九二三)から昭和十三年(一九三八)までのもの五十九篇であつて、それにその後のもの昭和十五年(一九四〇)までの十二篇を新に加えて、七十一篇をまとめたのが「山之口貘詩集」である。

 この詩集は、間もなく、紙さへ入手出出来れば版を重ねたいとのことであつたがあの戦時下、紙はつひに入手困難となつて、再版の話がそのまま立ち消えになつてしまつたのである。

 敗戦後の昭和二十三年には、「山之口貘詩集」以後のものを一巻にまとめたいとの話が、八雲書店からあつたが、当時、ぼくにはまだその気がなく、「山之口貘詩集」の再版を希望したのである。と云ふのは、この詩集を探してゐる人達のあることを、時に、手紙で知つたり、人づてに知つたり、あるひは訪ねて来る人の口から知つてゐたからなのであつて、どの人も古本屋など探し廻つた揚句の様子なのであり、ぼく自身も、機会あるごとに探してゐたからなのである。見つからないのは、おそらく、戦災で灰になつたのではないかと思ふより外にはなく、そんなわけで、八雲書店から再版を出すことになつたのである。ところが原稿が校了になつたかと思ふとまもなく、印刷所で紙型が焼失の目に逢ひ、そのうちに八雲書店の解散でまたも再版は立ち消えとなり、ゲラ刷だけが、ぼくの手許に戻つて来て、今日までそのままになつてゐたのである。

 そこへ、最近、同郷の若い人達から、またまた再版を出したいとの話があつて国吉昭英、山川岩美の両君が、並々ならぬ厚意を寄せて色々と相談の途上にあつたところ、突然ではあつたが、両君にはぼくから諒解を求めた上、別に、原書房から、定本として出すことになつたのである。これは、佐藤光一、並びに、原書房の成瀬恭の両氏のお骨折りによるもので、両氏に感謝するとともに、山川、国吉の両君またなにかとお手数煩した会田綱雄の三君の名をここに記して感謝のしるしとしたい。

 なほ、初版本で、目次にある作品番号と旧歴年号、木炭と詩集ケースのデザイン、肖像写真の撰定などは、當時の山雅房と深い親交のあつた詩友平田内蔵吉氏の厚意によつて配慮されたものであるが、定本を出すに当つてこれを割愛し、また著者自身の校正が不行届のために、誤字誤植もあつたわけで、これの訂正もこころがけ、本来、詩の上ではなるべく句読点を避けて来た自分に即して、句読点を取り除いたことを記し、忙中この定本の校正をこころよく引き受けてくれた畏友光永鉄夫氏に感謝する。

 1958・7・8

           山之口貘    

 

  附記

三四頁―二行三行目はもと一行。(上り列車)

一二九頁―終りから三行目、四行目はもと一行。(夢の後)

一三七頁―終りから三行目、四行目はもと一行。(青空に囲まれた地球の頂点に立つて)

一三八頁―終りから三行目、の「はつきり」はもと「つきり」(同)

一四四頁―二行目と三行目の頭から―を除いた。(妹へおくる手紙)

一五二頁―二行目の「おとなしく」はもと「しく」(無題)

一五三頁―一行目の「鞴」ほもと「吹鼓」(同)

一七八頁―二行目の「いいえ」はもと「否え」(座談)

二〇二頁―三行目の頭から―を除いた。(晴天)

二〇三頁―二行目の頭から―を除いた。(同)

 その外、ゝ、をあらため、蟲を虫、喰を食にあらためたことを記しておきたい。詩篇の配列は初版本とおなじで、巻末から巻頭へ製作の順である。

 

[やぶちゃん注:【2014年6月26日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、「あとがき」にミス・タイプや旧字を多数発見したため、本文を訂正、さらにこの注も改稿した。】「附記」の中の太字部分は底本では傍点「。なお、思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題に載る「附記」を見ると、各項の下のポイント落ちの( )のついた詩題は旧全集編者によるものであるらしいことが分かった。以上の「あとがき」と「附記」は戦後の原書房昭和三三(一九五八)年刊の「定本 山之口貘詩集」で初めて附されたものである。従って漢字表記は底本通りの新字体とした。因みに、「附記」にある訂正は私の電子テクストでは総て原型のそれであり、改稿の異同は句読点の有無を含めて(底本の旧各注ではこれは校異に示されていないので、思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」で対比検証した)附してある。

【二〇二四年十一月六日追記・改稿】このバクさんの第二詩集「山之口貘詩集」(昭和一五(一九四〇)年十二月山雅房刊。処女詩集「思辨の苑」の全詩篇五十九篇と、同詩集刊行後に創作した詩十二篇を追加したもの)の新作分を、国立国会図書館デジタルコレクションの原本(左のリンクは表紙。扉の標題ページ。次を開くと、著者近影がある。目次はここから(最後に『自二五八三至二六〇〇』とある。なお、バクさんの詩集内の配列は「思辨の花」と同じで、最新のものから古いものへの降順配置である。これには、バクさんらしい新しい詩をこそ自分としては読んで貰いたいという詩人の矜持というか、光栄が感じられる。目次の後の標題はここで、奥附はここ)で校訂した。当該部はここから。

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