かれの奥さん 山之口貘
かれの奥さん
煙草を吸えば吸うたんびに
吸いすぎるだのなんだのと来て
いまにも肺癌とかに
なるみたいなことを云い
酒を飲めば飲むたんびにだ
飲みすぎるんだのなんだのと来て
すぐにも胃潰瘍だか胃癌だかで
死ぬより外にはないみたいなことを云い
帰りが夜なかになったりすると
おそすぎるんだのなんだのとはじまって
隠し女があるんだのとわめき立て
安眠の妨害をするとのことなのだ
それでかれは昨夜もまた
なぐりつけたと云うのだが
亭主のふるまいはとにかくとしてだ
よく似た奥さんもあるもので
うちのだけではないようだ
[やぶちゃん注:【2014年6月27日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注の一部を手直しした】初出は昭和三六(一九六一)年十二月号『小説新潮』。
バクさんには
だからなんだと云われるだろうが
バクさんは
この二年後の一九六三年七月十九日に
胃癌であの世にいってしまったのだ――]