飯田蛇笏 靈芝 大正十四年
大正十四年(二十五句)
たゞ燃ゆる早春の火や山稼ぎ
[やぶちゃん注:「山廬集」では、
たゞに燃ゆ早春の火や山稼ぎ
と改稿している。]
いきいきとほそ目かゞやく雛かな
[やぶちゃん注:底本では「いきいき」の後半は踊り字「〱」。]
夜の雲にひゞきて小田の蛙かな
燒けあとや日雨に木瓜の咲きいでし
はたはたと鴉のがるゝ木の芽かな
[やぶちゃん注:底本では「はたはた」の後半は踊り字「〱」。]
温泉山みち賤のゆき來の夏深し
夏旅や温泉山出てきく日雷
[やぶちゃん注:「日雷」は「ひがみなり」と読み、晴天にも拘わらず、鳴る雷。雨は伴わなず、またそれ故にか、旱(ひで)りの前兆ともされる。夏の季語。]
夏山や風雨に越える身の一つ
[やぶちゃん注:「山廬集」では、
夏山や風雨に越ゆる身の一つ
山賤や用意かしこき盆燈籠
信心の母にしたがう盆會かな
[やぶちゃん注:「したがう」はママ。「山廬集」では「したがふ」と表記。]
身一つにかゝはる世故の盆會かな
秋虹をしばらく仰ぐ草刈女
山風にゆられゆらるゝ晩稻かな
[やぶちゃん注:「晩稻」老婆心乍ら、「おくて」と読む。稲の品種で普通より遅く成熟するものを指す。]
憎からぬたかぶり顏の相撲かな
臥て秋の一と日やすらふ蠶飼かな
せきれいのまひよどむ瀨や山颪
山寺や齋(とき)の冬瓜きざむ音
雲ふかく瀞の家居や今朝の冬
[やぶちゃん注:「瀞」「どろ」とも読むが、「とろ」と読みたい。川の水に浸食されて出来た深い淵で流れが緩やかな地形を指す。]
冬凪ぎにまゐる一人や山神社
雪見酒ひとくちふくむほがひかな
[やぶちゃん注:「ほがひ」は「祝ひ・寿ひ」で元来は言祝ぎの謂いであるが、「山廬集」では「樂(ホガ)ひかな」と表記しており、ささやかな内なる祝祭的エクスタシーを表現していよう。]
遅月にふりつもりたる深雪かな
[やぶちゃん注:「遅月」月の出の遅いことで、季語としては秋であるが、ここは冬のその時期を示している。「深雪」は「みゆき」と読んでおり、これが季語である。]
寒灸や惡女の頸のにほはしき
[やぶちゃん注:「惡女」は「しこめ」(醜女)と読んでいよう。蛇笏の句の中では諧謔的且つ妖艶な香を、まさに匂わせる好きな句である。]
胴着きて興仄かなる心かな
かしづきて小女房よき避寒かな
日に顫ふしばしの影や雞乳む
[やぶちゃん注:「雞乳む」は「とりつるむ」と読ませるのであろう。「乳」には鳥が卵を産むの意があるが、ここはそこから「鳥交(つる)む」、鷄の交尾を指していると考えられる。疑義のある方は、「齋藤百鬼の俳句閑日」のブログのコメントで本句が掲げられて「とりつるむ」と読むという記載があるので参照されたい。そもそも、「山廬集」では部立を「鶏乳む」としてこの句の次に、
雪天や羽がきよりつゝ鶏つるむ
句が並ぶ。「乳む」は字面もいい。私なんぞは「乳繰り合う」なんて語も妄想してしまうけれど……。]
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