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2014/03/04

飯田蛇笏 靈芝 大正十四年

 大正十四年(二十五句)

 

たゞ燃ゆる早春の火や山稼ぎ

 

[やぶちゃん注:「山廬集」では、

 

たゞに燃ゆ早春の火や山稼ぎ

 

と改稿している。]

 

いきいきとほそ目かゞやく雛かな

 

[やぶちゃん注:底本では「いきいき」の後半は踊り字「〱」。]

 

夜の雲にひゞきて小田の蛙かな

 

燒けあとや日雨に木瓜の咲きいでし

 

はたはたと鴉のがるゝ木の芽かな

 

[やぶちゃん注:底本では「はたはた」の後半は踊り字「〱」。]

 

温泉山みち賤のゆき來の夏深し

 

夏旅や温泉山出てきく日雷

 

[やぶちゃん注:「日雷」は「ひがみなり」と読み、晴天にも拘わらず、鳴る雷。雨は伴わなず、またそれ故にか、旱(ひで)りの前兆ともされる。夏の季語。]

 

夏山や風雨に越える身の一つ

 

[やぶちゃん注:「山廬集」では、

 

夏山や風雨に越ゆる身の一つ

 

山賤や用意かしこき盆燈籠

 

信心の母にしたがう盆會かな

 

[やぶちゃん注:「したがう」はママ。「山廬集」では「したがふ」と表記。]

 

身一つにかゝはる世故の盆會かな

 

秋虹をしばらく仰ぐ草刈女

 

山風にゆられゆらるゝ晩稻かな

 

[やぶちゃん注:「晩稻」老婆心乍ら、「おくて」と読む。稲の品種で普通より遅く成熟するものを指す。]

 

憎からぬたかぶり顏の相撲かな

 

臥て秋の一と日やすらふ蠶飼かな

 

せきれいのまひよどむ瀨や山颪

 

山寺や齋(とき)の冬瓜きざむ音

 

雲ふかく瀞の家居や今朝の冬

 

[やぶちゃん注:「瀞」「どろ」とも読むが、「とろ」と読みたい。川の水に浸食されて出来た深い淵で流れが緩やかな地形を指す。]

 

冬凪ぎにまゐる一人や山神社

 

雪見酒ひとくちふくむほがひかな

 

[やぶちゃん注:「ほがひ」は「祝ひ・寿ひ」で元来は言祝ぎの謂いであるが、「山廬集」では「樂(ホガ)ひかな」と表記しており、ささやかな内なる祝祭的エクスタシーを表現していよう。]

 

遅月にふりつもりたる深雪かな

 

[やぶちゃん注:「遅月」月の出の遅いことで、季語としては秋であるが、ここは冬のその時期を示している。「深雪」は「みゆき」と読んでおり、これが季語である。]

 

寒灸や惡女の頸のにほはしき

 

[やぶちゃん注:「惡女」は「しこめ」(醜女)と読んでいよう。蛇笏の句の中では諧謔的且つ妖艶な香を、まさに匂わせる好きな句である。]

 

胴着きて興仄かなる心かな

 

かしづきて小女房よき避寒かな

 

日に顫ふしばしの影や雞乳む

 

[やぶちゃん注:「雞乳む」は「とりつるむ」と読ませるのであろう。「乳」には鳥が卵を産むの意があるが、ここはそこから「鳥交(つる)む」、鷄の交尾を指していると考えられる。疑義のある方は、齋藤百鬼の俳句閑日ブログのコメントで本句が掲げられて「とりつるむ」と読むという記載があるので参照されたい。そもそも、「山廬集」では部立を「鶏乳む」としてこの句の次に、

 

雪天や羽がきよりつゝ鶏つるむ

 

句が並ぶ。「乳む」は字面もいい。私なんぞは「乳繰り合う」なんて語も妄想してしまうけれど……。

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